『ベルリン・天使の詩』が大ヒットとなって波に乗ったシャンテシネは、80年代から90年代にかけて数多くのヒット作を生む。スウェーデン映画『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』(85)、ジム・ジャームッシュ監督の『ナイト・オン・ザ・プラネット』(91)、台湾の『悲情城市』(89)。
輸入会社のフランス映画社とシャンテの蜜月時代が続き、世界中の才能ある監督の新鮮で意欲的な作品が発掘され、シャンテはクオリティの高い作品を連発するミニシアターとしての地位を確立。そのめくるめくヒット作の数々を元副支配人の話をまじえながら紹介したい。
※以下記事は、2013年~2014年の間、芸術新聞社運営のWEBサイトにて連載されていた記事です。今回、大森さわこ様と株式会社芸術新聞社様の許可をいただき転載させていただいております。
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多感な少年を描いたスウェーデン映画
シャンテシネ(現TOHOシネマズシャンテ)で30週連続上映という記録的な大ヒットとなり、この劇場の歴代興行記録ナンバーワンとなった『ベルリン・天使の詩』(87)の買い付けはフランス映画社だったが、その後もこの会社と劇場の蜜月時代は続く。
『ベルリン・天使の詩』は1988年4月に封切られたが、同年の12月24日に封切られたのが『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』(85)。翌89年の6月23日まで25週間連続上映となって1億6800万円の収益を上げ、シャンテの歴代興行収入の2位となる。
この作品を振り返って、かつてシャンテシネの副支配人だった高橋昌治東宝専務取締役(当時)はこう語る。
「『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』はいい映画でしたね。とにかく、写真(作品)を見て、やってみよう、と思いました。タイトルが分かりにくいのが難点ですが、主役の子供はかわいいし、見た後、気持ちいいし、すごくいいと思いました。監督はスウェーデンのラッセ・ハルストレムで、当時は日本では知られていませんでした。ただ、新しい監督の方がこちらも先入観なく見ることができましたし、スウェーデンという国籍も特に気になりませんでした。その後、この監督はアメリカに渡って話題作も撮っていますね」
主人公は病気の母親を持つ12歳の少年、イングルマルで、母親の病気が悪化した後、彼は田舎の叔父の家に預けられる。最初は不安を抱えているが、次第に周囲と打ち解けていく。特にサッカーやボクシングが得意で少年のような容姿の女友達との関係に、思春期の少年・少女の性に対する微妙な意識がよく出ている。
また、イングマルは死ぬことも知らずに宇宙に打ち上げられてしまったライカ犬に共感していて、そんな犬の人生よりも自分の人生の方がマシと考える。心温まる可愛い作品でありながら、生と死、あるいは性へのめざめという人間の根源的な問題も入っていて、哲学的な眼差しもある(年齢を重ねた後に再見すると、この部分がより深く読み取れる)。
ハルストレムはこの一作で世界的に評価され、アカデミー賞の監督賞候補にもなった。その後は『ギルバート・グレイプ』(93、ジョニー・デップ、レオナルド・ディカプリオ主演)から近作の『砂漠でサーモンフィッシング』(11、ユアン・マクレガー主演)まで良心的なドラマを手がけるハリウッドの職人監督として活躍している。
同じ北欧(デンマーク)出身のビレ・アウグスト監督が父と息子の絆を描いた感動作『ペレ』(87、マックス・フォン・シドー主演)もシャンテでヒットした。シャンテ歴代19位の興行成績で、89年6月から14週の上映となった(興収7500万円)。ハルストレム同様、その後はハリウッドスターを起用して、『愛と精霊の家』(93、メリル・ストリープ主演)、『レ・ミゼラブル』(98、リーアム・ニーソン主演、ミュージカルではなくドラマ版)などのメジャーな作品を撮った。
シャンテ公開時には名前も知られていなかったヨーロッパの監督たちはこの劇場にかけられたヒット作を経て国際監督に成長した。
◉『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』(85)は、インディペンデント・スピリット賞外国映画賞、ゴールデングローブ賞最優秀外国語映画賞などを受賞した