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【ミニシアター再訪】第20回 映画の街・銀座からの巻き返し・・・その9 シネスイッチ銀座が生まれた

【ミニシアター再訪】第20回 映画の街・銀座からの巻き返し・・・その9 シネスイッチ銀座が生まれた

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勇気ある決断



 邦画を定期的に上映できるミニシアターというコンセプトがとにかく当時としては新しかったわけだが、銀座の別のミニシアターとの違いは他にもあった。これについて原プロデューサーは語る。


 「銀座地区の場合、もともとロードショー館がたくさんあったので、80年代に入ってもミニシアターがなくてやっていけたんじゃないかと思います。邦画の専門館としては名画座ですが、並木座もありました。他の地区より地代が高いので一から新しい劇場を作るのは大変だったと思います。シャンテにしても、テアトル西友にしても、その地区の再開発があったからこそ、生まれたミニシアターです」


 東宝系のシャンテシネ(後のTOHOシネマズ、シャンテ)は日比谷の映画街を一新するというプロジェクトの中で生まれたミニシアターだ。一方、セゾン系のテアトル西友(後の銀座テアトルシネマ)は大型ロードショー館(テアトル東京)の跡地に建ったホテル西洋のビルに併設された劇場だった。


 「その点、シネスイッチの場合は勇気があったと思います。土地の再開発とは関係なく、籏興行が我々のコンセプトにのってくれて劇場を大改造したんです」。つまり、フジテレビ、ヘラルド・エース、籏興行の三社が手を取り合うことで、新しい夢を託した映画館に生まれ変わったわけだ。


 「とにかく、人が大事だと思います。まずは人がいて、その人とコンセプトとタイミングが結びつくと何かが始まるんです」


 そんな“人とコンセプトとタイミング”の結びつきは「銀座文化」の中にあるもうひとつの劇場でも生かされた。地下はシネスイッチ銀座となるが、3階は名画座からオードリー・ヘップバーンの主演作など古いハリウッド映画やヨーロッパ映画のリバイバル上映を中心としたロードショー館へと変わった。ヘラルド・エンタープライズのスタッフが企画を出して、実現に至ったという。


 「ヘラルドは会社の命令で社員が何かをやるというタイプの大会社ではなかったから、社員からやりたいことを提案してもらって、それを形にしていた。『銀座文化』の“ヘラルドシネマ・クラシックス”の場合はスタッフのひとりが、古いハリウッド映画にはビデオ権がないけど、劇場権はあるから上映してはどうでしょう、と提案してくれて、それで始まりました」


 邦画と洋画のスイッチによる単館&クラシック作品のリバイバル館。「銀座文化」のふたつの空間はこうして新しいコンセプトによって生まれ変わり、ミニシアター興行の金字塔となる『ニュー・シネマ・パラダイス』をはじめ、数々の大ヒット作を生み出すことになる。


(次回は『ライフ・イズ・ビューティフル』、『リトル・ダンサー』などシネスイッチのヒット作について劇場の関係者たちが語る)




◉シネスイッチ銀座は、中央区の銀座四丁目にある(2014年撮影)。



前回:【ミニシアター再訪】第19回 映画の街・銀座からの巻き返し・・・その8 シャンテ傑作選3 英国の新しい魅力 

次回:【ミニシアター再訪】第21回 映画の街・銀座からの巻き返し・・・その10



文:大森さわこ

映画ジャーナリスト。著書に「ロスト・シネマ」(河出書房新社)他、訳書にウディ・アレンの評伝本「ウディ」(D・エヴァニアー著、キネマ旬報社)他。雑誌は「ミュージック・マガジン」、「キネマ旬報」等に寄稿。ウエブ連載をもとにした取材本、「ミニシアター再訪」も刊行予定。



※本記事は、2013年~2014年の間、芸術新聞社運営のWEBサイトにて連載されていた記事です。今回、大森さわこ様と株式会社芸術新聞社様の許可をいただき転載させていただいております。なお、「ミニシアター再訪」は大幅加筆し、新取材も加え、21年にアルテス・パブリッシングより単行本化が予定されています。

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