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【ミニシアター再訪】第26回 渋谷系の流行、ミニシアターの熱い夏・・・その3 渋谷の先駆的なミニシアター、シネセゾン渋谷

【ミニシアター再訪】第26回 渋谷系の流行、ミニシアターの熱い夏・・・その3 渋谷の先駆的なミニシアター、シネセゾン渋谷

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85年、道玄坂にオープン



 シネセゾン渋谷がオープンしたのは1985年11月6日。オープニングはイタリアの巨匠、フェデリコ・フェリーニ監督の幻想的なアート系作品、『そして船は行く』(83)だった。 


 その後はアラン・ルドルフ監督の都会派ラブストーリー『チューズ・ミー』(84)、ヘクトール・バベンコ監督のゲイの悲恋映画『蜘蛛女のキス』(85)、スパイク・リー監督の黒人女性のラブストーリー『シーズ・ガッタ・ハヴ・イット』(85)、ジョン・カサヴェテス監督の最後の傑作『ラヴ・ストリームス』(83)と80年代は話題のインディペンデント映画がかけられていった。 


 さらに料理をテーマにした人間ドラマ『バベットの晩餐会』(87)、ルイ・マル監督のナチスの時代を背景にした子供たちの残酷な物語『さよなら子供たち』(87)、同監督による父親と息子の婚約者との禁じられた愛を描く『ダメージ』(92)など、多くの秀作や話題作がこの劇場で上映されてきた。 


 当時の渋谷にはPARCOのスペース・パート3やユーロスペースなどのミニシアターがすでにあったが、前者は多目的ホールだったし、後者は100席足らずのささやかな劇場だ。 


 その点、200以上の客席があり、設備も良かったシネセゾン渋谷は初めての本格的な渋谷のミニシアターとして話題を呼んでいた。 


 80年代に文化事業に力を入れていたセゾングループの経営で、上映される作品もシネセゾンの配給作品が多かった(上述の作品群も大半はシネセゾンの配給作品。ただし、『シーズ・ガッタ・ハヴ・イット』は同社とKUZUIエンタープライズの共同配給、『蜘蛛女のキス』はヘラルド・エース配給)。 


 当時のセゾングループは83年に六本木のシネ・ヴィヴァン・六本木、84年に大森のキネカ大森、87年に銀座テアトル西友(後の銀座テアトルシネマ)等のミニシアターも作り、映画業界に新風を吹き込んでいた。 


 ただ、シネセゾン渋谷はビルの6階にあったので、通りすがりの人には映画館の存在が分かりにくかった。 


 また、上映リストを見直すと、あまりにもさまざまなタイプの映画が上映されていて、全体の傾向がつかみにくいが、当時を知っている人と話をすると、「リバイバル上映に個性が出ていた」との声がけっこう多い。 


 普通に古い映画をかけるのではなく、その作品の中に現代的な味付けを持ちこむことで、その作品を再生してきた。特にレイトショーで新たな命を吹き込まれたケースが目立つ。 




◉この劇場のスタート当時の上映作品。ウィリアム・ハートがオスカー受賞の大ヒット作『蜘蛛女のキス』(85)、アラン・ルドルフ監督の隠れた名品『チューズ・ミー』(84)、スパイク・リー監督の初の本格的な長編『シーズ・ガッタ・ハヴ・イット』(85)、ジョン・カサヴェテスとジーナ・ローランズの夫婦共演作『ラヴ・ストリームス』(83)。




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