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『Wの悲劇』俳優と役の境界を超え、アイドル映画の究極として語り継がれる理由とは?

(C) KADOKAWA 1984

『Wの悲劇』俳優と役の境界を超え、アイドル映画の究極として語り継がれる理由とは?

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アイドル映画の新たな地平を切り開いた角川映画



 現在は、ほぼ死語となった「アイドル映画」。1970年代を中心に、アイドルとしての歌手やグループが主役を任された映画が数多く誕生し、ひとつのジャンルを形成していた。とはいえ、「アイドル映画」という呼び方が当時、一般的だったわけではなく、いま振り返ったときの呼称でもある。このブームの代表格ともいえるスターが、山口百恵。歌手として爆発的人気を得た後、わずか15歳で『伊豆の踊り子』の主演を任されて以来、次々と主演映画が製作される。アイドルと女優の両輪で活躍し続け、類い稀な演技力も認知された百恵だが、どちらかと言えば、歌手=アイドルとしての活躍が主軸だった。そういう意味で、彼女の出演作は「アイドル映画」と考えてもいい。 


 そのアイドル映画のブームを受け継ぎ、別次元で活性化させたのが角川映画である。それまではTVに露出していたアイドルの主演映画は数多くあったが、まず映画女優としてデビューさせ、アイドル的な人気を得るという、逆パターンのアイドル映画を確立させたのが、角川春樹プロデューサーである。


 その先駆けになったのが、角川春樹事務所所属の薬師丸ひろ子で、『野性の証明』(1978)で高倉健の娘を演じてブレイクした彼女を、『ねらわれた学園』(1981)、『セーラー服と機関銃』(1981)。『探偵物語』(1983)などでアイドル的大女優として開花させることに成功。1982年には「角川・東映大型女優」のコンテストで渡辺典子、原田知世が発掘された。それぞれ『伊賀忍法帖』(1982)、『時をかける少女』(1983)で映画デビューした彼女たちは、薬師丸とともに「角川三人娘」と呼ばれてアイドル女優のトップに君臨した。



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