
ノンデライコ/水口屋フィルム
『選挙と鬱』、文句なく傑作【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.81】
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これは震えましたね。文句なく傑作です。順を追って説明しますね。2022年6月の参院選に水道橋博士が立候補するんです。言わずと知れた「浅草キッド」の人気芸人ですね。一方で僕の稼業の物書きの世界でいうと、『藝人春秋』(文藝春秋)という抜群の読みものシリーズの著者でもある。博士は克明に日記をつけている人です。その観察眼の集積が『藝人春秋』のクリエイティビティの源泉になっている。この人は「飛び込んでって見る人」です。憧れたビートたけしに弟子入りし、晴れてたけし軍団としてタレントになった人じゃないんだよなぁ。書いたものを読むと、ずーっと「ビートたけしに憧れ、心震わせたワカゾー」の目線を持ち続けている。いちばん近くでたけしさんや芸人さんを観察している。同化してるようで同化してない。タレントさんに成り上がっていない。僕は本質は書き手だと思う。見て、書く人。
そんな水道橋博士が選挙に立候補ですよ。これは見ものだった。政党はれいわ新選組です。僕自身はれいわ新選組を支持する立場にないですけど、例えば原一男監督の『れいわ一揆』(19)はすごく面白いと思った。かつては秋山祐徳太子とか内田裕也とか、選挙を表現の場にするカルチャー側の人がいたでしょ。そうしたら何と『東京自転車節』(21)『フジヤマコットントン』(23)等の青柳拓監督が選挙戦に付いてくれることになった。
僕としては博士が選挙戦をどう日記にまとめ、後に例えば『選挙春秋』みたいな形でアウトプットするかにも興味がありました。っていうか見事当選して、『国会春秋』になれば言うことないですね。外部者の目線を失わずに政治の世界を活写してほしい。
ただ実際の選挙っていうのはそんな一筋縄じゃいかないものだったかもしれないですね。選挙戦が始まって、博士が動画でモハメド・アリの世界一短い詩「Me We.」を引用した「私はあなたです。あなたが私です」の演説フレーズを連発しているのを見て、あ、これは間接民主主義(代議士制)を表現したうまい言い方だぞと思う一方で、ゾクッとしたのを覚えています。映画『選挙と鬱』(25)のなかにも「私はあなたです。あなたは私です」は頻繁に登場する。僕はちょっと呪術的な言葉に思えたんですね。博士はキャッチフレーズのつもりかもしれないが、本意気でこの言葉をぶつけている。それは言った本人に返ってくる。博士は選挙戦で訪れた街、会った人々、すべての「We」を引き受けることにならないか。つまり、ひとりで世界全体を背負うことにならないか。
『選挙と鬱』ノンデライコ/水口屋フィルム
映画を見ていて、博士は生身なんだなぁとの思いを新たにしました。同世代です。憧れたもの、影響を受けたものは大体想像がつく。身体的な衰え、老いも想像がつく。僕があそこでピンクのたすきを掛けて街宣していたとする。私はあなた、あなたは私だとする。それは震えます。全投入するんですよ。なかで博士自身が吐露するシーンがあるけど、ライフワークのつもりでいた仕事も(政治に関わることで)打ち切りになってしまう。それまでの仕事はゼロになる。アイデンティティーというのか、自分はこういう人間なんだと思っていた連続性が断たれる。今、あるのはピンクのたすきと「私はあなた、あなたは私」です。肚をくくって政治家に成り上がれるキャラクターなら平気かもしれないけど、たぶん水道橋博士は政治には酔わないだろう。
選挙ドキュメンタリーとしては(途中、安倍元首相の暗殺直後の空気などを描きつつ)当選を果たすまで、大変示唆に富み、魅力ある作品に仕上がってるのだが、僕がグッとくるのはいったんエンドロールが出かかって、その後始まる「選挙後」のストーリーだ。当時、報道されたから皆さん覚えておいでだろう。水道橋博士はうつ病を発症し、議員職を辞することになった。青柳拓監督のカメラはその顛末をていねいに追っている。
僕は博士とは一面識しかないが、あの選挙戦の過剰なエネルギーが逆流したらきついなぁと心配だった。報道を受けて、自分のアカウントにツイートしたのが残っている。まだXはツイッターだったんじゃないかと思う。
「水道橋博士、ゆっくり休養なさってください。人間、そういうときもあります」(2022/11/01)
「選挙後」の博士につき合う青柳拓監督のひょうひょうとした明るさがとてもいい。最後は博士にウーバーの働き方を伝授し、『選挙と鬱』バージョンの「東京自転車節」が始まる。バッジを外して、すっからかんになった水道橋博士の疾走する東京の街。僕は泣けましたよ。同世代の自由な魂、その実存。どうか多くの観客にこの映画が届きますように。
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