テネシー・ウィリアムズと『カイロの紫のバラ』
アレンの作品にはブラックコメディが多いが、『女と男の観覧車』はコメディ的な側面はあってもヘビーな悲劇である。そして本作への強い影響を感じさせるのが、『 ガラスの動物園』『 欲望という名の電車』『熱いトタン屋根の猫』など多くの戯曲が映画化されている天才劇作家テネシー・ウィリアムズだ。
1940年代~50年代に最盛期を迎えたウィリアムズは、過去に捕らわれ、欲求不満を募らせて破滅していく女性像を好んで描いた。『女と男の観覧車』のジニーは典型的なテネシー・ウィリアムズ的ヒロインで、粗野な夫ハンプティとの愛憎関係や、過去の栄光と貧困とのギャップなど、テネシー・ウィリアムズ的な要素はいくらでも指摘できる。
『女と男の観覧車』(C) 2017 GRAVIER PRODUCTIONS, INC.
アレンが監督してケイト・ブランシェットにアカデミー主演女優賞をもたらした『 ブルージャスミン』(2013)は、キャラクター設定や人間関係など明らかに『欲望という名の電車』を下敷きにした、アレン流の現代バージョンだと言っていい。『女と男の観覧車』もまた、アレンには「テネシー・ウィリアムズのような作品を生み出したい!」という欲求と意図があったのではないか。
実際にアレンはインタビューで、『女と男の観覧車』を「オマージュではない」と断った上で、本作に限らず「シリアスな作品を書く時は常に、テネシー・ウィリアムズ(とユージン・オニール)の強い影響がある」と認めている。本作において舞台演劇的な演出が顕著なことも、アメリカが誇る戯曲作家ウィリアムズへの敬意に感じられるのだ。
『女と男の観覧車』(C) 2017 GRAVIER PRODUCTIONS, INC.
もう一本、本作と強いリンクを感じさせるアレン作品として『 カイロの紫のバラ』(1985)を挙げておきたい。同作は、暴力的な夫と暮らす薄幸な女性セシリアが主人公。彼女の唯一の気晴らしは映画館で映画を観ること。ある日、映画の中の登場人物がスクリーンから現実の世界に飛び出してきて、セシリアとひと時の恋に落ちる――というほろ苦いファンタジーだ。
辛い現実に甘んじながら、別世界に連れ出されることを夢見る女性という点で、ジニーとセシリアはとても似ている(どちらの仕事もウェイトレスだ)。しかしセシリアと違ってジニーにはファンタジーすら与えてもらえない。もしかして『カイロの紫のバラ』の荒唐無稽な物語がすべてセシリアの妄想だったとしたら? そんな仮定がジニーの物語にピッタリと当てはまる。つまり『女と男の観覧車』は『カイロの紫のバラ』のリアルバージョンであり、現実という枷があるからこそ、より過酷な悲劇になっているのだ。つまり両作品は同じモチーフを描いたカードの裏と表であり、映画作家アレンのブレることのない作家性の証左でもあるのである。
参考資料:
http://emanuellevy.com/review/wonder-wheel-interview-with-woody-allen/
文:村山章
1971年生まれ。雑誌、新聞、映画サイトなどに記事を執筆。配信系作品のレビューサイト「ShortCuts」代表。
『女と男の観覧車』
6月23日(土)、丸の内ピカデリー、新宿ピカデリーほか全国公開
提供:バップ、ロングライド 配給:ロングライド
(C) 2017 GRAVIER PRODUCTIONS, INC.