※本記事は物語の結末に触れているため、映画未見の方はご注意ください。
『ブゴニア』あらすじ
人気絶頂のカリスマ経営者として脚光を浴びるミシェル(エマ・ストーン)が誘拐された。犯人は、陰謀論に心酔するテディ(ジェシー・プレモンス)とドン(エイダン・デルビス)の2人組。ミシェルが地球を侵略しにきた宇宙人だと信じてやまない彼らの要求はただ一つ。「地球から手を引け」彼らの馬鹿げた要望を一蹴するミシェルだが、事態は思わぬ方向へと加速していき——。
Index
タイトルに秘められた残酷な真理
スクリーンを埋め尽くす蜂のクローズアップと、神経を逆撫でするような羽音。ヨルゴス・ランティモス監督の『ブゴニア』(25)は、不穏なオープニングショットで幕を開ける。タイトルの「Bugonia(ブゴニア)」とは、古代ギリシャやローマで信じられていた、「牛の死骸からミツバチが自然発生する」という俗説に由来する言葉。かつて人々は、死という穢れから豊穣の象徴である蜂が生まれるという、生命の循環を信じていた。
しかし現代の科学は、その美しき奇跡が単なる見間違いであったことを暴いている。その正体は蜂ではなく、蜂に擬態したハナアブ。花蜜を吸う蜂とは対照的に、ハナアブは汚泥や腐敗した有機物に卵を産み付ける。つまり、古代の人々が「聖なる蜂の誕生」だと崇めた光景の真実は、単に「腐った肉に湧いたウジが羽化した姿」だったのである。
ここには、残酷な真理が潜む。人は、目の前の現実をありのままに見ているわけではない。無意識のうちに自分の信じたい物語を投影し、都合の悪いグロテスクな事実を美しい虚構へと脳内変換してしまう。この認識の誤認こそが、『ブゴニア』を貫く核心的テーマだ。

『ブゴニア』© 2025 FOCUS FEATURES LLC.
この企画をランティモスに持ち込んだのは、『ヘレディタリー/継承』(18)や『ミッドサマー』(19)などで知られる現代ホラーの鬼才、アリ・アスター。もともとアスターが開発を進めていた脚本は、韓国のカルト映画『地球を守れ!』(03)を現代アメリカに置き換えたものだった。だがアスターは、この毒っ気を含んだ物語を自ら監督するのではなく、ランティモスに委ねることを選ぶ。ランティモスはオリジナル版をあえて観ることなく、この魅力的な脚本に飛びついたという。
物語の主軸となるのは、養蜂家であり陰謀論者のテディ(ジェシー・プレモンス)と、その従兄弟ドン(エイダン・デルビス)による誘拐劇だ。彼らは大手製薬会社のCEOミシェル(エマ・ストーン)を地球破壊を目論むアンドロメダ人だと断定し、拉致監禁。宇宙人の髪は母船へのGPSだという理屈で、ミシェルの頭を無惨に剃り上げてしまう。
ランティモスのフィルモグラフィーを紐解くと、監禁というシチュエーションは、常に物語の起点として用意されてきたことが分かる。『籠の中の乙女』(09)では、高い塀に囲まれた邸宅で子供たちが歪んだ教育を受けていた。『ロブスター』(15)では、独身者がホテルという密室に収容され「45日以内にパートナーを見つけなければ動物に変えられる」という不条理な掟に支配されていた。
『女王陛下のお気に入り』(18)では、アン女王が王宮という鳥籠に幽閉され、『哀れなるものたち』(23)のベラは、創造主ゴッドウィン博士の屋敷から一歩も出ることを許されなかった。明らかに『ブゴニア』の密室も、その系譜に連なる。ここでは社会の常識や法は一切通用しない。「社長は宇宙人である」というテディの妄想だけが法として機能し、被害者であるミシェルは彼が構築した論理の檻に閉じ込められることになる。