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ボディ・ホラーにおける“融合”の進化論
ボディ・ホラーの歴史において、“融合”というモチーフは常に忌まわしく、悲劇的なものとして描かれてきた。
例えばデヴィッド・クローネンバーグの『ザ・フライ』(86)では、科学者の身体が遺伝子レベルでハエと混ざり合い、人間としての尊厳が崩れ落ちていく絶望が描かれていたし、同じく彼の『ヴィデオドローム』(83)では、主人公の肉体がメディアという機械に侵食される悪夢が提示された。そして塚本晋也の『鉄男』(89)では、男の皮膚を突き破って金属のドリルや配管が噴出し、歩く鉄クズのような姿へと変貌してしまう。
ここで描かれる融合は、いずれも「人間 vs. 異種」による、主権を巡る侵略戦争だ。自己という聖域に、得体の知れない他者が侵入する恐怖。それがボディ・ホラーの定石だったのである。しかし、マイケル・シャンクス監督の長編デビュー作『トゥギャザー』(25)が挑んだのは、ある意味でそれらよりも遥かに恐ろしく、身近な実験だ。もしも、混ざり合う対象がハエや機械のような異物ではなく、愛するパートナーだったら?
物語は、冷え切った関係を修復すべく田舎へ移り住んだカップル、ティムとミリーの再出発から幕を開ける。だが彼らを待っていたのは、大自然の癒やしなどではなく、あまりに理不尽な罰ゲームだった。地下洞窟で謎の泉に触れてしまった翌朝、二人の身体は不可解な力で、磁石のように引き寄せられ始める。

『トゥギャザー』© 2025 Project Foxtrot, LLC
離れようとすれば激痛が走り、接触すれば皮膚が溶け合う。距離を置きたいのに、見えざる力がそれを阻む。腕をノコギリでブッタ切って無理やり離れても、気を抜けばまた引き寄せられてしまうのだ。「死がふたりを分かつまで」どころか、「死ぬ気で離れても、逃げられない」。
こんな奇天烈ホラーをマイケル・シャンクスが生み出した背景には、17年来のパートナーとの長い同棲生活があった。
「あまりにも長く一緒にいたので、同棲を始めたとき、生活を共有するという概念に向き合うことになった。友人も同じ、食べるものも同じ、吸う空気も同じ。どこまでが自分で、どこからが彼女なのか?と考えるようになったんだ」(*1)
この“個の喪失”という実存的問題を表現するためにシャンクスが選んだのは、実生活でも10年以上のパートナーシップを結ぶ、デイヴ・フランコとアリソン・ブリー。ガチ夫婦が醸し出す、あまりに無防備な空気感こそが、本作では鋭利な武器となる。
誰よりも心を許した相手だからこそ、その境界線が蹂躙されていくプロセスは残酷だ。トイレも風呂も強制共有、個としての輪郭がドロリと溶けていく。彼らが実生活でもパートナーであるという事実は、この悪夢に奇妙なリアリティを与えている。作り話の枠を超え、覗いてはいけない他人のプライバシーを見てしまったような、生々しい気まずさがそこにはあるのだ。
「愛のために、どこまで自分を捨てられるのか?」ーー本作が突きつけるこの究極の問いは、もはや比喩ではない。主演二人のメタ的な身体性と、ジャンル映画への深い造詣が融合した本作は、極めて現代的で鋭利な寓話に仕上がっている。