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『エディントンへようこそ』同じ現実を生きていない時代のネオ西部劇
2025.12.17
『エディントンへようこそ』あらすじ
物語の舞台は2020年、ニューメキシコ州の小さな町、エディントン。コロナ禍で町はロックダウンされ、息苦しい隔離生活の中、住民たちの不満と不安は爆発寸前。保安官ジョーは、IT企業誘致で町を“救おう”とする野心家の市長テッドと“マスクをするしない”の小競り合いから対立し「俺が市長になる!」と突如、市長選に立候補する。ジョーとテッドの諍いの火は周囲に広がっていき、SNSはフェイクニュースと憎悪で大炎上。同じ頃、ジョーの妻ルイーズは、カルト集団の教祖ヴァーノンの扇動動画に心を奪われ、陰謀論にハマっていく。エディントンの選挙戦は、疑いと論争と憤怒が渦を巻き、暴力が暴力を呼び、批判と陰謀が真実を覆い尽くす。
Index
Hindsight is 2020
ずっと、『エディントンへようこそ』(25)の海外版ポスターが謎だった。そこに写っているのは、急斜面の断崖を駆け抜け、次々と転落していくバッファローの群れ。先頭の一頭はすでに宙を舞い、後続のバッファローたちも立ち止まらない。逃げ惑う様子も、何かに追われている気配もない。ただ先頭に従うように、流れに身を委ねるように、群れは自らの足で崖へと向かっていく。
このビジュアル・イメージに使われているのは、アーティストのデイヴィッド・ヴォイナロヴィッチが1988年に発表した「Untitled (Buffalo)」。この写真を発表した80年代後半に彼はHIV感染の診断を受け、1992年に37歳で死去。エイズ危機は当時のアメリカ社会において、大きな影響を与えた。
ウォイナロヴィッチは、エイズが喚起する「止められない大量死」と、19世紀に人為的に大量虐殺されたバッファローの歴史を、明確に重ね合わせている。ここで描かれているのは、誰かに殺される瞬間ではない。気づいたときには、すでに運動そのものに組み込まれてしまっている破滅のプロセスだ。
そして、ポスター中央に小さく記された「Hindsight is 2020」というコピー。アメリカには、視力検査で満点を示す「20/20」に由来し、「後からなら物事ははっきり見える」という意味で使われる「Hindsight is 20/20」という慣用句がある。だがここでは、視力の比喩は年号へと置き換えられている。パンデミック、分断、抗議、陰謀論が一気に噴き出した、2020年という年に。
あれから5年という歳月を経た今なら、人類は多くの出来事を以前よりもはっきり意味づけすることができるだろう。だが、その視界の明瞭さは、崖を落ちていくバッファローを一頭も救わない。このコピーが示しているのは反省ではなく、物事は後からでしか理解できないという、現実の空虚さだ。理解が追いついた時点で、我々はすでに引き返せない場所に来てしまっている。その冷酷な距離感が、このポスター全体を覆っている。

『エディントンへようこそ』© 2025 Joe Cross For Mayor Rights LLC. All Rights Reserved.
おそらくこのポスターは、『エディントンへようこそ』という映画の思想そのものを暗示したものだ。描かれているのは「支配される社会」ではなく、「自ら分断へと堕ちていく社会」。人間の顔すら与えられないこのイメージは、本作において主役となるのが個人ではなく、社会の運動そのものであることを物語っている。そしてこの地点に立つとき、アリ・アスターのフィルモグラフィーは、ひとつの明確な転換点を迎えていることが見えてくる。
これまでこの鬼才フィルムメーカーは、家族や共同体といった身近な場所が、やがて主人公に牙を剥くプロセスを露悪的に描いてきた。『ヘレディタリー/継承』(18)では、家族の呪いが世代を越えて受け継がれていくまでを。『ミッドサマー』(19)では、喪失を抱えた女性が新たな共同体に取り込まれるまでを。『ボーはおそれている』(23)では、母親という存在が世界そのものを支配するルールへと肥大化していくまでを。
崩壊の起点は常に親密な関係の内部にあり、その歪みは主人公の主観を通して体験されてきた。だが『エディントンへようこそ』において、アスターはその座標を反転させる。もはや内面が世界を歪ませるのではない。最初から歪んだ世界が存在し、人々はそれに適応しようとする過程で、取り返しのつかない地点へと運ばれていく。
そのことに気づくのは、いつも後になってからーー「Hindsight is 2020」。この冷酷なコピーは、映画の外側から、すでに物語の結末を告げている。