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『カラフルな魔女~角野栄子の物語が生まれる暮らし~』、膨大なイメージのストック【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.45】
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不思議な感触のドキュメンタリー映画でした。『魔女の宅急便』などの著作で知られる児童文学者、角野栄子さんの素顔にカメラを向けた作品といえるでしょうか。僕は角野栄子さん、ぜんぜんどんな方が存じ上げなかったんですよ。テレビに出てくる文化人ではありませんね。タイトルの『カラフルな魔女~角野栄子の物語が生まれる暮らし~』もどうなんだろうと思った。角野さんを「魔女」に見立て、その創作活動を「魔法」と言ってしまっている。それはちょっと取材対象に阿(おもね)っていないかなと危惧したわけです。冷静に描けているだろうか。取材対象である角野さんのことが好きで好きでたまらない人が、角野さんすごいすごい魔法ですすごいですという距離感で撮った映画だったらどうしようと心配した。
で、最初に謝っておきます。すいませんでした。杞憂もいいところ。角野さんのことが大好きなのはダイレクトに伝わってくるけれど、この映画に搭載されているエンジンは、監督の宮川麻里奈さんのインタレストです。「?」から出発している。何で角野栄子という人は常に瑞々しいのか。どうやって生きてきたのか。どんな暮らしをしているのか。取材対象と距離が取れないのではなく、接近戦を挑んだのです。角野さんが散歩するゆっくりしたテンポでカメラも移動し、角野さんが何かを見つけ何かを思いつくテンポでそれをトレースする。撮影に4年の歳月をかけたと聞きます。あぁ、それくらいかけたろうなぁと思いました。観客は角野さんの生活感覚を追体験します。追体験というと難しく聞こえるけど、要は「呼吸を合わせる」です。
あ、この人、こういうときにこう決めちゃうんだな。こういうときにこれを見て、こうやって大事に取っておくんだな。こういう人と気が合うんだな。こういう小径、こういう路地が好きなんだな。そして、こう歳を重ねてきたんだな。このドキュメンタリー映画を見ることはそういうひとつひとつを実感することです。
強いて何に似ているかといったら『人生フルーツ』(16)ですかね。あの映画のまなざしの向け方にちょっと似ている。タッチは「ひょうひょう」とか「すんすん」とか「くすくす」ってところかな。あるいは「淡々」。特にテンションを上げようとはしない。しないんだけど、観客は角野さんに魅了されていきます。何ていい空気をまとった方だろうかと思う。接近戦を挑んで宮川監督がキャッチしようとしたのはその「いい空気」です。
『カラフルな魔女~角野栄子の物語が生まれる暮らし~』ⒸKADOKAWA
鎌倉の街を散歩するくだりが好きでした。角野さんは行き先を決めず、迷子になりながら歩いて行くんです。
「迷子になるのも面白い」
「お日様見てね、南に行けば必ず海があるじゃない。海に出ればうちへ帰れる」
そう言って恬淡とされている。気の向く方へ、何か惹かれるもののある方へ、てくてく歩いて行っちゃうんですね。
そうして、心に残ったものをスケッチしていく。角野さんの言い方では「落書き」です。見かけた光景、人。それにインスパイアされた思いつき、閃き。そうしたものを絵や添え書きの形でメモしておくんですね。
この「落書き」は面白かったなぁ。僕は物書きの友人知人を大勢知ってますけど、こうやって印象の鮮度が落ちないうちに絵を描くって人はあんまりいない。大概は言葉のメモですね。あるいはiPhoneで写真を撮る。写真は対象(場所、人)だけでなく、その対象に出くわしたときの空気感、雰囲気を残すんですよね。角野さんはそれを「落書き」と称してずーっとやり続けている。
それは結果的には膨大なイメージのストックを生みますね。角野さんは作家だけど、言葉で考えるだけでなく、絵でも考えるんだと思います。「絵で考える」が言葉としてヘンなら、「絵で発想する」でもいい。
よく「忘れ得ぬ人」っていうでしょう。思い出深い人物。大切な人。心のなかに大切に取ってあるような人。角野さんのイメージのストックはそんなニュアンスですね。「忘れ得ぬイメージ」「忘れ得ぬ記憶」に映画は迫ろうとする。
圧巻なのは「ルイジンニョ少年」と再会する場面でしょうか。角野さんは1959年、24歳のとき、新婚の旦那さまとブラジルへ渡ります。そのとき出会い、親しく付き合い、ポルトガル語を教えてもらったりした同じアパートの少年と62年ぶりに再会を果たすんですね。
まさに「忘れ得ぬ人」。角野さんのデビュー作はブラジル生活の思い出を描いた『ルイジンニョ少年』だったのです。今はおじいさんになった「ルイジンニョ少年」こそ、作家・角野栄子誕生のきっかけになった人物です。
その再会の場面を僕は何度も思い返しています。映画はそれを「未来で出会う」と表現した。ただ忘れないだけじゃない。ただの思い出じゃない。どうやらそれは魔法と言って差し支えないものなんです。かつて出会ったことが「作家・角野栄子」とその作品群をこの世に生み出した。そして2人は時空を超えて「未来で出会う」んですよ。宮川監督の接近戦はその奇跡をバッチリ捉えています。
文:えのきどいちろう
1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido
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『カラフルな魔女~角野栄子の物語が生まれる暮らし~』
2024月1月26日(金)角川シネマ有楽町ほか全国ロードショー
配給:KADOKAWA
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