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『エディントンへようこそ』、分断と対立のカオス【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.93】
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『エディントンへようこそ』(25)はとんでもなく今日的な作品です。よく「現代の縮図」とか「社会の縮図」っていう言い方をするじゃないですか。舞台になってるニューメキシコ州の小さな田舎町にアメリカの分断と混沌を全部ぶち込んだ感じですね。本当に小さな何もない町なんですよ。時は2020年、コロナ禍のロックダウンのさなかです。マスク着用やソーシャルディスタンスが義務化され、日常生活が軋みだした頃のこと。保安官ジョー(ホアキン・フェニックス)はマスクが煩わしいと思っていた。これが発端です。日本でもそうでしたけど、田舎町はだいぶ長いことコロナに罹患する人が出なかったでしょ。最初の罹患者を出した家と指弾されるのを怖れ、東京の大学へ行ってるお子さんを里帰りさせない風潮がありましたよね。たぶんエディントンもそんな風だったんでしょう。保安官ジョーはマスクなんてナンセンスだと思った。だいたい個人の自由を束縛してるじゃないか。
が、市長テッド(ペドロ・パスカル)はマスク厳守の考え方です。これはもう社会の常識であり、決まりごとだ、市民にはマナーを守ってもらう。2人はマスクをするしないでひと悶着起こします。でもまぁ、この時点では何でもないことだったんですよ。ボヤのまま消し止められてもよかった。それが火勢を増し、大火事になっていきます。
意固地になった保安官ジョーは市長選への立候補を決意します。そうすると政敵ということになって、お互い引くに引けなくなっていく。ジョーは現市長テッドのIT企業のデータセンター誘致にからむ疑惑を言い立てる。テッドはジョーを個人攻撃でやり込める。ジョーの奥さんはカルト宗教にハマッて話が通じなくなっているんですね。家族の繋がりを失ったジョーはどんどんおかしくなっていく。そこに全米に広がったジョージ・フロイド抗議運動、「ブラック・ライヴズ・マター」がやってくる。抗議活動の若者から見ると保安官ジョーは「黒人を抑圧する悪い警察」の側です。ジョーは罵声を浴びせられ、更に追いつめられる。
「ブラック・ライヴズ・マター」の動きを最初に聞いたときの保安官ジョーが利いてるんですよ。彼は遠くの話だと言うんですね。ジョージ・フロイドさんが亡くなったミネアポリスも、運動が激化している全米各地の大都市も遠い。こんな小さな田舎町まで到達するとは思えない。たぶんこれまではそんな風だったと思うんです。都会で何か起こってもエディントンにはやって来ないと保安官ジョーは経験的にタカを括れた。だけど、情報の遠近感ですね。ネットがそれを完全に変えた。ジョーはマスクなしでスーパー店内にいるときも、「ブラック・ライヴズ・マター」の若者に対峙しているときもとにかく動画を撮られる。その動画を拡散される。そうすると地差時差の遠近感を超えて、ダイレクトに見る人に届きます。しかも、それは例えば「マスクをしない無知蒙昧な陰謀論者」であったり、「黒人を抑圧する悪徳警官」であったり、という具合に典型化される。

『エディントンへようこそ』© 2025 Joe Cross For Mayor Rights LLC. All Rights Reserved.
カオスです。分断と対立のカオス。それが映画『エディントンへようこそ』の後半をドライブさせてゆく。その驚くべき顛末はここでは触れないことにしましょう。僕が巧いなぁと感心したのは「憎悪は別の憎悪を呑み込んで成長していく」「陰謀論は別の陰謀論と結びついて成長していく」という、カオスの生成が物語として見事に描かれていることです。混乱と憤怒は雪だるまのように膨れ上がり、やがて町を覆い尽くしてしまう。
だけど、これは映画の上の話とか、海の向こうアメリカの物語という風には言い切れないところがありますよ。『エディントンへようこそ』は市長選という、選挙イベントを介した出来事を描いてるわけですが、そこに出てくるカルトや陰謀論、ネット動画の情報戦、憶測とデマの応酬、誹謗中傷の嵐といったものは、例えば鈴木エイト、例えば黒猫ドラネコ、例えば藤倉善郎、例えば清義明、あるいは畠山理仁、選挙ウォッチャーちだいといった書き手が日本国内の事象として取り上げてきたものに通じます。だから、本当に情報量の多い映画ですね。冒頭申し上げた「今日的」というのはそんな意味です。
初見だと展開が凄すぎて芝居を見る余裕がないですけど、これは主演のホアキン・フェニックス以下、クセの強い役者が凄まじい演技を繰りひろげてます。みんなどこかひずんだキャラクターなんですよね。僕の好みを言うとエマ・ストーンの壊れっぷりなんですけど、これは皆、役作りや演技プラン楽しかったはずですよ。アリ・アスター監督の映画がお好きなら外せない作品になりました。あっという間にエンドマークです。
文:えのきどいちろう
1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido
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『エディントンへようこそ』
TOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開中
配給:ハピネットファントム・スタジオ
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