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『隣人たち』、美しきサイコスリラー【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.109】

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『隣人たち』、美しきサイコスリラー【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.109】

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 すごい映画ですね。一見、サイコスリラーに見えないサイコスリラー。60年代のアメリカです。都市近郊の中流層の住宅街。ゲーテッド・コミュニティ(町の入り口にゲートが設けられていて、不審者は立ち入れない)かどうかは描かれないんだけど、白人しか住んでいない場所です。家族構成が若いです。高収入のパパがいて、美人の奥さんがいて、元気で素直そうな子どもがいる。これから社会のなかで地歩を固めていきそうな、ヤング・アメリカンファミリー。カメラが入るのは2軒の家だけですが、きっと町全体が同じような階層、家族構成なんじゃないかな。


 その2軒の家です。仲のいい、幸せそうなお隣さんどうし。冒頭、「サイコスリラーに見えないサイコスリラー」という言い方をしたのは、2人の主婦、セリーヌ(アン・ハサウェイ)とアリス(ジェシカ・チャステイン)の美の競演です。とにかく衣装が凝っている。60年代風のドレスやワンピースが目に鮮やかです。アメリカが大衆消費社会として躍進を遂げた、いちばん活気のあった時代。自動車は四角くて平べったく、テールフィンが跳ねている。ベトナム戦争の泥沼に足を取られる前の、(たぶんトランプ大統領が取り戻したいとスローガンに掲げたような)自信に満ちたアメリカ。


 アン・ハサウェイとジェシカ・チャステインは確か以前にも共演作がありますよね。気心の知れたマッチアップです。この2人の、美しく華やかな「演技の世界タイトルマッチ」って感じでしょうか。ボクシングで喩えると、お互い手の内を知り尽くしていて、練熟のコンビネーションブローを打ち合っている。しかもお互いノックアウトパンチは持ってるのにそれを封印している試合運びなんです。心理戦ですよね。ジワジワいく。その心理戦の推移がむちゃくちゃ怖い。



『隣人たち』© 2023 MINSTINCT INC. ALL RIGHTS RESERVED.


 物語の発端を言うと、2つの家庭には同い歳の息子がいるんですね。で、セリーヌ(アン・ハサウェイ)はちょっと目を離したタイミングで息子を失う。不注意とかそんなんじゃないんです。不慮の事故。誰のせいでもない。だけど、そこからセリーヌとアリスの関係性が微妙にズレていく。ズレは少しずつです。気がつかないくらい微妙なところから始まる。それがどんどん修復不可能な「歪(ゆが)み」まで行き着くんだけど、どちらの家庭のダンナさんもなかなか関与できないでいる。ていうか、外見上は健康そうで、幸せそうなヤング・アメリカンファミリー(但し、お子さんが1人欠けてしまった)なんです。誰もそんな「歪み」は目に入らない。


 ジェシカ・チャステイン演じるアリスは精神的に弱いところのある女性なんですね。明るくふるまっているけれど、対人的な不安を常に抱えている。彼女は隣家の不幸な事故を止められなかったことに後悔と罪悪感を感じています。異変に最初に気づいたのはアリスだったんです。もっと大声で叫んでいれば、制止できたんじゃないか…。


 で、セリーヌの変化を察知する。セリーヌが自分を責めているように感じる。セリーヌがテオ(アリスの子です)に異様な執着を示している気がする。ここの頃合いが面白かったし、怖かったですね。映画を見ている僕らはどっちがおかしくなりだしてるのかわからないんです。もしかするとアリスが不安神経症のようになってるのかもしれない。もしかするとセリーヌが息子の死をきっかけに精神の均衡を失ったのかもしれない。どっちが異常か判断がつかない状態です。どっちサイドから見るかで芥川龍之介の『藪の中』(黒澤明『羅生門』ですね)みたいに別々の「真実」が見えてしまうような感覚。


 僕はアン・ハサウェイの説得力に感じ入ります。そんなことは言うまでもないけど、とてつもない美しさじゃないですか。セリーヌの役は難しいですよ。安い手では上がれない。感情を抑えて、物語の後半までずーっとキープです。何事もない。でも、もしかしたら異常なのかもと観客に匂わせる。でも、表面上はがらんどうのようにただ美しい。悲しいだけかもしれない。狂っているのかもしれない。これを成り立たせるのって尋常一様の力じゃないですね。


 この映画はハッピーエンドに終わります。ただちょっと忘れられないくらい歪(いびつ)なハッピーエンド。映画の抱えている批評性としては「このアメリカは内側から歪(ゆが)んでいってますよ」ということかもしれないですね。盛夏の頃、サイコスリラーで涼を感じてください。



文:えのきどいちろう

1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido



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『隣人たち』

TOHOシネマズ シャンテほか全国順次公開中

提供:カルチュア・エンタテイント 配給:ギャガ

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