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『クジラに落ちた男』、圧倒的パニック!【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.115】

©2026 20th Century Studios. All Rights Reserved.

『クジラに落ちた男』、圧倒的パニック!【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.115】

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 これは何ごとかと思いますよね。『クジラに落ちた男』(26)です。落ちますかクジラに。「仙台支店にいた同期のヤマダ、あいつね、こないだクジラに落ちたよ」って会社で話題になりますか。「C組のタカハシ、結局早慶もクジラも落ちて、浪人決めたって」なんてクラスで言いますか。言葉としてですね、「クジラ」と「落ちる」がパッと繋がらない。あんまりクジラには落ちないんです。だいたいの映画は恋に落ちる。


 原題は「Whalefall」だから確かに落ちてますね。ちなみに原作の海洋小説『クジラに落ちた男』(ダニエル・クラウス著、佐田千織訳、東京創元社)も同じ「Whalefall」。「fall」が落ちるとか倒れる、転倒、落下ぐらいの意味だから「クジラ落ち」ですかね。『半落ち』(04)っていう映画はありましたけど、「クジラ落ち」は少なくとも僕は初耳です。言っておきますが、「捕鯨大国ニッポン」ですからね。日本で語彙として定着していないってことは、それを言い表す必要がないくらい稀だってことです。


 だけど、インパクトのある言葉ですね、「クジラ落ち」。映画に登場するのは『白鯨』のモビーディックと同じマッコウクジラだそうですが、巨大なブラックホールのような口のなかに「落ちる」恐怖感がよく表現されています。それは体感としてはまさに「落ちる」のでしょう。地獄へ。奈落へ。絶望へ。死へ。例えば熊のような肉食獣に遭遇し、肉を裂かれ、四肢を食いちぎられるようなことがあっても「落ちる」とは言いません。クジラに呑み込まれるのはまさに暗黒のなかに「落ちる」んですね。


 僕がパッと思い浮かべられるクジラの腹のなかの物語というと、聖書の「ヨナ書」と「ピノキオ」の2つです。ヨナは伝道の旅の途中、海で大嵐に遭い、神様によってクジラの体内に3日匿(かく)まわれます。ピノキオは人形職人のゼペットじいさんとはぐれて、巨大なクジラに呑み込まれてしまうんですが、何とお腹のなかでゼペットじいさんと再会する。ゼペットじいさんもクジラに呑まれ、もう何か月もそこで(時々、呑み込まれてやってくる魚を食べるなどして)暮らしてきたのでした。2つの物語に共通するのは「クジラの体内が安全な場所であること」ですね。ヨナにとっては「大嵐の避難所」であり、ピノキオにとっては「『父』と奇跡の再会を遂げた場所」です。そこにはもちろん酸素もたっぷりあります。何しろゼペットじいさんはロウソクで灯りをとっていた。



『クジラに落ちた男』©2026 20th Century Studios. All Rights Reserved.


 だけど、リアルに考えたら酸素なんてあるわけがないですね。動物の胃のなかです。酸素どころかメタンガスが発生してボンベなしには呼吸なんてできない。大体、何か月も胃のなかにいたらゼペットじいさんは酸で溶かされてしまいます。ヨナの「大嵐を避ける3日間」だって生存は絶望的でしょう。そうなんです、『クジラに落ちた男』はそこをリアルに描いたパニックムービーなんです。人間が本当にクジラに呑み込まれたらどうなるか。おそらく映画館やSNSで予告編映像をご覧になった方はあまりの凄まじさに絶句されたことでしょう。特に閉所恐怖症の方はショックを受けたでしょう。


 主人公はジェイという青年です。彼はダイビング中にダイオウイカに襲われ、うわ、クジラじゃなくてイカかよー、とこちらがのけぞってる間にクジラに呑まれます。マッコウクジラは大量のイカを捕食するんですね。だからイカがヒトを狙い、その「イカがヒトを狙ってる状況」ごとクジラが捕食する。クジラはでかいですからね。状況をひと呑み。豪快です。そこら辺の展開の速さは圧巻です。映画館の大スクリーンでものすごい迫力。僕は映画館のイスのドリンクホルダーの輪っかみたいなところあるでしょ。あの輪っかをきつく握って、とにかく耐えてました。


 クジラの体内がまたヤバいんですよ。もう考えられないくらいグロい。マッコウクジラって胃が4つあるらしいんです。最初の胃ですり潰しに来る。それをかわして何とか第2の胃までたどり着くと、強烈な酸が待っている。露出してる部分、手だとか首筋とか溶けはじめるんです。酸素ボンベは1時間しかもたない。いやもう、僕は『ジョーズ』(75)以来の圧倒的パニックムービーだと思いますよ。エンタメとしてこの秋、断然お薦めできる。むっちゃくちゃ怖いです。あんな映像見たことない。


 ただジェイ君は幼い頃からお父さんの厳しい教育を受けているんですね。彼のお父さんは海をこよなく愛する男でした。ジェイは長じてその父に反発するようになるんですが、クジラの体内で生死の際にいるとき、彼を励まし、導いてくれたのは父の教えなんです。ここが泣ける。ただクジラは巨大ですよ。「息子が父に励まされている状況」ごと呑み込んでいる。「泣ける状況」ごと呑み込んでいるんです。



文:えのきどいちろう

1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido



『クジラに落ちた男』

全国公開中

配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン

©2026 20th Century Studios. All Rights Reserved.

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