イタリア人のベルトルッチが中国の歴史大作を手がけた理由
ベルトルッチがなぜ清朝最後の皇帝を映画化するに至ったかは、溥儀の自伝『わが半生―「満州国」皇帝の自伝』(愛新覚羅溥儀 著/筑摩書房)との出会いに始まる。その後、長い年月が過ぎ、1983年にベルトルッチがダシール・ハメットの『血の収穫』を映画化する企画が頓挫したことから本作の企画が動き始め、下準備のために中国を初めて訪れた彼は、すっかり「魔法をかけられた」と語る。(『ベルトルッチ、クライマックス・シーン』(エンツォ・ウンガリ、ドナルド・ランヴォード著、竹山博英 訳/筑摩書房)そして「中国の歴史の転換と溥儀という人間の転換。その両方を同時に描けるテーマにひかれたんだ」と言う。(『スクリーン』1989年6月号)
『ラストエンペラー』©Recorded Picture Company
日本も大きく関与する中国の歴史的転換点に位置する時代を舞台に、一人の人間が幼い頃から特殊な環境に〈監禁〉され、皇帝という唯一無二の存在として育てられた末にその地位が剥奪される。そして彼にとって世界の全てであった紫禁城を追放され、国の形も一変し、晩年は一般市民として静かな生活を送ることになるという本作を、ベルトルッチはこう解説する。
「ことによると、豪華な歴史超大作が見られるだろうという期待感から『ラストエンペラー』を見に行く方がおられるかもしれない。そうした方々は、この映画が変身(メタモルフォーズ)を主題とした映画であることに驚かれるに違いない。(略)『ラストエンペラー』には二つの側面が含まれることになるだろう。その一つは、中国の絵画的な側面であり、そこには、繊細かつ微妙な物語が展開されることになる。いま一つの側面として、われわれの祖先たちが試みたような偉大なるグリフィス的な伝統がここにもくり拡げられることになる。それは、二万人のエキストラと二万着のコスチュームによる一大スペクタルを構成するだろう。」『季刊リュミエール』(1987年―冬/筑摩書房)