ダイレクト・シネマ流儀の映像素材に“語らせる”スタイル
フレデリック・ワイズマン監督の手法は「テロップなし、ナレーションなし、BGMなし」で知られる。これは「ダイレクト・シネマ」と呼ばれる、1950年代後半から1960年代にかけて北米を中心に勃興したドキュメンタリー特有のスタイルであり、ワイズマンはそのムーヴメントの代表選手だ。説明的要素を極力排して、目の前の現実を“直接的”に描こうとする。同時録音ができる軽量なカメラと録音機材が開発されたことで花開いた手法である。ワイズマンのほか、アルバート&デヴィッドのメイズルス兄弟(1968年の『セールスマン』や、1970年の『ローリング・ストーンズ・イン・ギミー・シェルター』、1976年の『グレイ・ガーデンズ』など)、D・A・ペネベイカー(1967年の『ドント・ルック・バック』やゴダールと共同監督した1971年の『ワン・アメリカン・ムービー』など)らが代表的な作家として知られる。また日本の想田和弘監督が標榜する「観察映画」は、ダイレクト・シネマの精神を独自に受け継いだものだ。
その中でもワイズマンの特徴は、ある種の箱庭的設計――ひとつの限定された場所やコミュニティに焦点を定め、全体像を高密度に圧縮された「社会の縮図」として差し出すところにある。特定の組織や施設、地域に題材を決め、あえてテーマや構成を想定しないままカメラを回し始める。映像素材に“語らせる”スタイルを貫きながら、何ヶ月も緻密な編集作業を重ねる。映画史家のマーク・ノーネスいわく「ダイレクト・シネマの映画作家が行うすべての選択は、視線に対する視線への間接的な招待状なのである」。そこから浮かび上がるのは、モザイク模様やタペストリーによく喩えられる、ひとつの環境の中で多様な生の形がうごめくリアルな人間群像だ。
『ボストン市庁舎』© 2020 Puritan Films, LLC – All Rights Reserved
本作『ボストン市庁舎』でも、施設内とその周辺の様々な人間模様がパノラマ画のように展開する。とりわけ今作は、現実から「理想」を切り取る視座と手法が際立っている。それは民主主義が実践的に機能しているシステムの在り方の「理想」だ。
この映画は警察や消防、保険衛生のセクションからはじまって、退役軍人や高齢者、ホームレスなどの支援、様々な事業の営業許可、出生、結婚、死亡記録の管理まで、多様化を極める地方自治体の業務を紹介していく。予算など具体的な諸条件と格闘しながら、真摯に問題に向き合い、サービスを提供する職員たち。市庁に集う多様な人々の姿を通して、映像は今のアメリカ合衆国の実像を知らしめると共に、民主主義の理念に基づいた「市民のための市役所」の可能性を見せていく。同性婚や大麻の合法化という現代的なテーマから、高騰する保険衛生費、銃の乱射や警察と住民との緊張関係、さらに少数派に対する差別やネズミ駆除まで、市庁舎にはあらゆる問題が持ち込まれる。
全編274分――約4時間半という上映時間の長さだが、実際に映画を観れば、このボリュームは完全に適切だと納得するはず。ロールモデルとなり得る運営・組織のメカニズムを提示し、我々が「最良の行政や共同体の在り方とは何か?」を考えるための契機とする。重要な見どころ、さらに通常なら中々見られないスポットまで案内してくれる、特別な社会見学ツアーに参加するような体験だ。そして様々なセクションにおいて、建設的な意見が積み重ねられる豊かな現場に、我々はたくさん立ち合うことができる。
当時のボストン市長、マーティン・ウォルシュが映画に刻んだ「理想」の形