2018.10.15
ジャームッシュをめぐる映画人たち
ジャームッシュはこれをもとにした長編をつくることを決意するが、無名のインディーズ監督の作品に、簡単に資金は集まらない。そこに助け船を出したのが、『デス・レース2000年』(75)でB級映画の鬼才として知られるようになったポール・バーテル。低予算ながらコンスタントに作品を撮っていた彼は、ジャームッシュの書いた脚本に惚れ込み、資金提供を申し出た。これはジャームッシュにとって本当に有難いことだったようで、エンドクレジットには”スペシャル・サンクス”としてその名が記されている。
かくして1984年に『ストレンジャー・ザン・パラダイス』は完成。物語は三部構成で、“新世界”と題した第一部は82年に撮った短編がそのまま流用された。主人公ウィリーは賭け事が大好きで、悪友のエディとともに競馬に入れ込んでいる。その競走馬の名前が、“晩春””でき心””東京物語”。これらは往年の日本映画の題名から取られているが、ウィリーが買う馬券は、もちろん小津の『東京物語』(53)だ。
『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(C)1984 Cinesthesia Productions Inc.
小津やヴェンダースの影響は、本作の長回しにもみることができる。撮影監督のトム・ディチロは、この後ブラッド・ピットを主演に起用した『ジョニー・スエード』(91)で映画監督としてデビュー、近年は「シカゴ・ファイア」などのTVシリーズを手がけている。そのディチロは、『ストレンジャー・ザン・パラダイス』に空港のカウンター係として出演もしているが、もうひとりジャームッシュ人脈で忘れてはならない人物がここでは顔を見せている。麻薬取引現場にやってくる帽子の女性にふんしたサラ・ドライヴァーは本作のプロデューサーにして、ジャームッシュの公私にわたるパートナー。彼女も映画監督であり、新作の『バスキア、10代最後のとき』(17)は、2018年12月に日本公開される。