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才能を知る、才能を見る、『ストレンジャー・ザン・パラダイス』を支えた才人たち

才能を知る、才能を見る、『ストレンジャー・ザン・パラダイス』を支えた才人たち

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 その“事件”は 1986年に起きた



 1986年4月19日、東京・有楽町スバル座で単館公開されたジム・ジャームッシュの『ストレンジャー・ザン・パラダイス』は”事件”だった…などというと大げさに聞こえるかもしれないが、若い映画ファンの間では間違いなくそうであった。当時、大学に入ったばかりの筆者の周囲でも、“あの映画、見た?”という声が日増しに高くなっていたのを皮膚感覚で覚えている。公開からひと月を経て筆者もスバル座に足を運んだが、場内はほぼほぼ満席。クスクスという笑いや結末の切なさを、他のたくさんの観客と共感できたのは幸福な映画体験だった、と振り返って思う。


 カンヌ国際映画祭カメラドール受賞という勲章とともに日本に上陸した同作は、当時の若い映画ファンにとって本作は映画の教科書のようなものだった。小津安二郎やニコラス・レイら名匠の名を、本作を通じて知った人は少なくないし、ジャームッシュがオマージュを捧げた監督だけでなく、多くの才能が本作を支えている。ここではそれを整理してみよう。




 『ストレンジャー・ザン・パラダイス』は、そもそも1982年にジャームッシュが撮った30分の短編に端を発している。NYに住む遊び人ウィリーが、ハンガリーから来た十代の従妹エヴァを短期間世話することになり、その別れまでを描いた物語。この短編制作のきっかけをあたえたのが、『ベルリン・天使の詩』(87)などで知られるヴィム・ヴェンダースだ。1980年、ニコラス・レイとともに『ニックス・ムービー/水上の稲妻』を完成させたヴェンダースは、同作で製作助手を務めていたジャームッシュの才気を認め、40分ほどの余りフィルムをあたえた。ジャームッシュは彼から機材を借り、2日間でこの短編を撮り終える。そしてそれは、映画祭等で上映され、大きな反響を呼ぶことになった。



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