2019.01.04
冷静に考えると「ありえない」描写
このように、リアリティとして観るとやり過ぎかもしれないが、「映画の力」で魔法にかける演出は、『ニュー・シネマ・パラダイス』に多数出てくる。
たとえば、パラダイス座に入りきらなかった観客のために、映写技師のアルフレードが映写機の反射板をクルリとひねって、外の広場の壁に映画を映し出すシーン。劇場内のスクリーンと同時上映させるこの手法は理論的に不可能ではないが、突発的なアイデアで外の壁にうまくピントを合わせるなんて、神業レベル。しかも反射板を鏡面として使っているので、映ったとしても左右逆になるはずだが、そうはなっていない。まさしく映画的演出と言える(結果、鏡を使ったことでフィルムが燃えるという流れは、意外にもリアルではある)。
ちなみに、観客が入りきらないほど人気だった劇中の映画は、イタリアの喜劇王、トトの主演作『ヴィッジュの消防士たち』(49)で、『ニュー・シネマ・パラダイス』の主人公の愛称も、この喜劇王からつけられている。
映写機に関しての重要な「誤り」といえば、パラダイス座の映写室に1台しか映写機が置かれていない点もそうだ。35ミリ映写機で長編映画を上映する場合、通常は2台の映写機を使ってロールチェンジしなくてはならない。しかし映写室にポツンと1台だけ映写機がある方が、小さな村の映画館という感じがよく出ている。こうした「誤り」も、映画のマジックのためならかまわないのだ。
有名な「つないだフィルム」のシーンも、冷静な観点からリアリティを超えているのでは……と、公開時に話題になった。数十年も前のフィルムを手作業で細かくつないだ状態で、そのまま新しい映写機にかけて問題なく映るものなのか。そもそも、これはアルフレードが失明する前につなげて保管していたものであると思われ、そうすると火事の前に持ち出していたのか? なんのために? などと考え始めるとキリがない。しかし、あまりに映画的なクライマックスであるために、さまざまな疑問は頭から消え去ってしまう。映画への愛が、映画としての嘘や疑問を軽々と凌駕するのである。