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『幸福なラザロ』現代に「イノセント」を受け入れてくれる場所はあるのか?

『幸福なラザロ』現代に「イノセント」を受け入れてくれる場所はあるのか?

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ネオ・ネオレアリズモ



 このように、イタリアの社会問題を小市民の側から描く映画は、かつて「ネオレアリズモ」と呼ばれた。ヴィットリオ・デ・シーカ監督の『自転車泥棒』(48)、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『揺れる大地』(48)などが代表的である。


 だが、「ネオレアリズモ」は終わったジャンルではない。近年もパオロ・ヴィルズィ監督が、大学は出たけれど非正規でパートタイムの職にしか就けない女性の物語を扱った『見わたすかぎり人生』(08)や、金にまつわる人間の醜さを描いた『人間の値打ち』(13)、イタリア南部のナポリの片隅に横たわる現実を描いた、シルヴィア・ルーツィ、ルカ・ベッリーノ監督の『ナポリ、輝きの陰で』(17)、そしてエドアルド・デ・アンジェリス監督『堕ちた希望』(18)などなど、イタリアの現代の窮状を映し出す優れた作品は国内で作られ続けている。本作もその流れに連なる、ネオレアリズモならぬ「ネオ・ネオレアリズモ」映画と呼べるような作品なのだ。


 本作の特徴は、そこに宗教的なファンタジー要素を入れている点だ。主人公ラザロは、他の小作人とともに、何の不平も言わず、村で非人道的な労働に従事してきた。食べられる草とそうでない植物を見分けるなど、原始的な生活に役立つことは知っているが、社会の仕組みや、金銭を稼ぎ出す方法は全く分からない。そして、命じられたことは、どのようなことでも受け入れ、人を疑うということがない。まさに聖人のような人物である。そして、年月が経って街に定住した、かつての小作人たちの前に、全く変わらぬ同じ姿で現れる。彼らはラザロを受け入れるが、あまりにも純真で汚れを知らない性格のラザロに、ある種の脅威を感じ始めるようにもなる。




 彼らは生きるため、街では自慢できないような仕事をしていた。客を騙して粗悪品を売りつける詐欺行為にラザロを連れ出した少女は、ラザロがあまりに純粋なために、一緒に働くことがつらくなってくる。それはラザロによって、純真だった昔の自分のことを思い出してしまうからでもあろう。かつて、小作農民はコミュニティーのなかで騙されながら、しかし誰に恥じることもない生活をしていた。だが、自由になってからは、街で他人を陥れながら、社会の邪魔者として生きることを余儀なくされているのだ。


 もちろん、以前の奴隷としての生活の方が良かったとは言えない。だが、コミュニティーを脱出した後も、新たな貧困にさらされ、あまつさえ詐欺という加害行為までして暮らさねばならないのであれば、むしろより不幸になったようにも思える。違法な格差システムの被害者から、合法的な格差システムの被害者へ。コミュニティーから脱出した先も、彼らに用意されたポストとは、権力構造の最底辺に他ならないなのである。



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