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ヴィスコンティの傑作『山猫』を貫く、並外れた“本物”の精神

ヴィスコンティの傑作『山猫』を貫く、並外れた“本物”の精神

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映画ファンとして、いつかは挑まねばならない山



 誰にだって人生の忘れ物がある。とりわけ映画ファンにとって、それが傑作とわかっていながら「いつか鑑賞の機会が巡ってきた時に」と人知れず栞を挟んだまま、それっきりになってしまう作品はあまりに多い。そしてイタリアの巨匠、ルキノ・ヴィスコンティが1963年に発表した傑作『山猫』はまさにその筆頭ともいうべき作品ではないだろうか。おそらく「映画史上、必見の50本」などがあればエントリーすることは確実。もしくは10本の指に入ると言ってもいいかもしれない。


 タイトルの「山猫」とは、シチリアの名門貴族、サリーナ公爵家の紋章を飾る動物を意味する。1860年代のイタリアは近代国家として統一される最中で、本作の舞台となるシチリアは統一戦争にてブルボン王朝軍が撃退され、旧体制から新体制へと時代が移り変わろうとしていた。となると、昔から生き続けてきた貴族にとって、これは存続の危機。時代の荒波、刻一刻と変わりゆく情勢、人々の価値観の変容、若者たちの台頭を経て、主人公のサリーナ公爵ドン・ファブリーツィオはいま、何を思うのか。これは長きに渡る血の流れを受け継いできた、特権階級の心の移ろいを記した物語である。




 激動のイタリア史が映画の表舞台に表出することはほとんどなく(この点に関しては、60年代の情勢についてきちんと頭に入れて臨んだ方がわかりやすいだろう)、カメラはあくまでサリーナ公爵の気高さに満ちた表情を映し撮り続ける。貴族の出自であるジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサが著した小説が原作なので、時代の狭間に立つ貴族の生々しいまでの心境が見て取れるし、それを映画化するのもまた貴族出身のルキノ・ヴィスコンティなのだから、たまらない。


 筆者の手元には今、キネマ旬報社が2016年に刊行した「ルキノ・ヴィスコンティの肖像」という書籍がある。その中に、かの淀川長治さんが本作について書かれた文章(もともとは『エキプ・ド・シネマ49「山猫」』81年公開時劇場パンフレットに収録されたもの)があったので、甚だ恐縮ながら引用させていただきたい。


 「「山猫」は原作者と監督が貴族のほんもの、ほんものという表現がお気に召さぬなら実体を、これ以上はてっかくに見せ得る書き得る者はいまい、といいたい上等さ上質さ豪華さ辛辣さで生んだ映画史上の名作である。ヴィスコンティに感謝の言葉もない。」




 淀川さんも使っておられる「ほんもの」という言葉は、『山猫』という映画を表現するにあたってうってつけの一語であることが、本編に触れるとある種の圧倒をもって理解できよう。なにしろ衣装、食器、内装、食事に始まり、貴族たちの暮らしぶり、言葉づかい、礼節、マナー、品格に至るまで、すべての面で一切の妥協を許さない。まさにほんものによる、ほんものの物語。激動の時代との対比によって浮き彫りとなるその文化の優雅さと洗練、そして当時の民衆の心理からすれば華美で大げさで理解不能として映る部分も含めて、ここには生々しいまでのほんものが刻まれている。



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