終戦80年の今年、『この世界の片隅に』が映画館に帰ってくる。公開から9年経った現在、世界では戦争が頻発、右傾化が加速を強め、その勢いは日本も例外ではない。たった9年で世界はこんなにも変わってしまった。そんな今、『この世界の片隅に』が再上映される意味とは。本作を手がけた片渕須直監督は、今どんな思いでいるのか。話を伺った。
『この世界の片隅に』あらすじ
18歳のすずさんに、突然縁談がもちあがる。良いも悪いも決められないまま話は進み、1944(昭和19)年2月、すずさんは呉へとお嫁にやって来る。呉はそのころ日本海軍の一大拠点で、軍港の街として栄え、世界最大の戦艦と謳われた「大和」も呉を母港としていた。見知らぬ土地で、海軍軍法会議所録事の北條周作の妻となったすずさんの日々が始まった。夫の両親は優しく、義姉の径子は厳しく、その娘の晴美はおっとりしてかわいらしい。隣保班の知多さん、刈谷さん、堂本さんも個性的だ。配給物資がだんだん減っていく中でも、すずさんは工夫を凝らして食卓をにぎわせ、衣服を作り直し、毎日のくらしを積み重ねていく。ある時、道に迷い遊郭に迷い込んだすずさんは、その街で生きる女性・リンと出会う。またある時は、巡洋艦「青葉」の水兵となった小学校の同級生・水原哲が現れ、すずさんも夫の周作も複雑な想いを抱える。1945(昭和20)年3月。呉は、空を埋め尽くすほどの数の艦載機による空襲にさらされ、すずさんが大切にしていたものが失われていく。それでも毎日は続く。そして、昭和20年の夏がやってくる――。
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“思い返し”の持つ意義
Q:2016年の初公開から9年経っての再上映です。
片渕:今年は終戦80年ということでたまたま上映できることになりましたが、この9年で世の中や世界情勢があまりにも変わりすぎてしまった。改めて今この世界の中に立って、すずさんやすずさんがいた時代を見つめてもらう意味はあるかなと。
Q:コロナ禍を踏まえた上で今この映画を観ると、また違った印象がありそうです。
片渕:コロナ禍の最中はものすごい圧迫感や閉塞感がありましたが、あっという間に通り過ぎてしまった気がします。僕は普段からあまり電車に乗らないようにしていて、乗るときもなるべくマスクをしているのですが、今日ここに来るために電車に乗ったら誰もマスクをしていない。コロナ自体は完全に去ったのかどうか疑問がある中で、こんなにも簡単にコロナがなくなった体制で皆生きている。そっちの方にちょっと驚いてしまいます。皆その場その場であまりにも馴染ませ過ぎているじゃないかな。でもそう考えていくと、一番馴染ませてしまっていたのが、すずさんなんだろうなという気もするんです。彼女は戦中の日々に身を馴染ませすぎた。
Q:コロナ禍の経験で、日常がこんなにも簡単にひっくり返ることに驚きました。
片渕:それは本当に思いましたね。逆に言うと、それが通り過ぎたときに「あれは何だったのか?」という思い返しをしていないんじゃないかと。戦争に関しても同じで、戦時中という時代があって、それが通り過ぎたらその思い返しをあまりしていない気がします。戦争そのものに対しての反省や指摘はあるとしても、その中で営まれていた生活などに関して「あれは何だったんだろう?」というのが、少なくとも我々には伝わってきていない気がするんです。
例えばですが、「戦時中の“すいとん”はまずかった」と言われていますが、今作って食べてみるとおいしい。その「なぜ?」という説明をちゃんとしてくれた人がいない。色々考えてみてわかったのですが、戦争中のどこからか純粋な小麦粉は配給されなくなっていて、小麦粉に魚粉や麩などいろんな粉を混ぜたものが配給されていました。要するに他の粉で“かさ増し”された小麦粉を使っていたわけで、それではおいしいはずがない。そういった、「あれは一体何故だったんだろうね」ということが、何だかスーッと通り過ぎられているような気がするんですね。
終戦80年上映『この世界の片隅に』© 2019 こうの史代・コアミックス / 「この世界の片隅に」製作委員会
Q:制作当時はスタッフの皆さんと一緒に、実際に当時の料理を作って食べたそうですね。それは制作にどう影響していきましたか。
片渕:それが実は、まずくはなかったんですよ(笑)。唯一まずかったの“は酵和パン”で、それは本当にまずかったですね。魚粉や野菜くずを入れて蒸したパンで、そりゃまずくなるよなと。でもそれ以外はそんなにまずくないわけです。だから当時のおいしくなかったという話は一体何だったんだろうと、そこに気持ちがいくようになったんです。
戦時中はサツマイモの蔓をいっぱい食べたそうですが、普通、サツマイモの蔓というと葉っぱについている軸、葉柄のことを指すんです。実際に食べてみると、サツマイモと同じように甘くておいしい。当時の人はなぜ、あんなに嫌がった記憶しかないのかと思ったら、どうもね、その蔓の更に下のガチガチした茎の部分が配給されていたらしいんです。これ、食べられるわけないんですよ(苦笑)。そうやって実際に自分たちで食べることから、当時はなぜ「まずかった」と言っていたのかという疑問、さらにその答えにまで辿り着くわけです。
そもそも、なぜ芋を食べずに蔓を食べていたのかと思ったら、芋は発酵させてアルコールにして軍用機の燃料にしていた分量が、それなりに大きかったからのようなんです。その発酵に使えないカスを食べていた。そんな事は今まで語ってもらったことはなく、自分で探して初めて辿り着いた話でした。『マイマイ新子と千年の魔法』(09)に、埋め立て地にある工場が出てくるのですが、もともとは化学繊維の工場だったんですが、戦時中は、サツマイモの廃糖蜜から燃料のオクタン価を上げる添加剤を作るために転用されていて、サツマイモの話はそんなところにつながっていた。調べていくと、そんなことがわかったりするわけです。「戦時中はこういうところが普通ではなかった」という色んな言説に触れてきたものの、なぜ普通ではなくなってしまったのか、それぞれの理由を説明されないまま来ているような気がしていたんです。