すずさんも担っていた“加害”
Q:戦争の愚かさや悲惨さを伝えるというテーマは、監督の中でどれくらいのプライオリティのものなのでしょうか。
片渕:僕は原作を読み切る前に、企画を立てちゃったんです。企画を立てている最中に、こうの史代さんの原作を毎晩少しずつ布団の中で読んでいたのですが、家族からは「何か突然泣き出したよ。号泣してるんだけど」と言われてしまい…(笑)。どうやら、すずさんの頭の上に爆弾が降ってきたシーンで涙していたようなんです。普通の生活を健気に営んできた、普通の思考しか持ってない人の頭の上になぜ爆弾が降るのだろうか。もちろん知識としてその状況はわかっています。ただ、改めて原作が描くすずさんという人と、爆弾というものの、あまりものギャップ・そぐわなさに、打ちひしがれてしまったんです。
爆弾を降らしている側は、ある種の戦略を持って実行している。呉を含めたどの場所をどう攻撃したら日本の何に影響してくるという計算をした上で爆弾を降らしているわけですが、その下にはそうした戦略などとは全く無関係のすずさんがいる。そうした「無関係さ」こそが戦争というものの正体なんだなと。“戦争の愚かさ”と大上段に構えても、何が愚かなのか一言では語りにくい。ただ、こんなすずさんの上に爆弾が降ってくることの“そぐわなさ”“相容れなさ”は、すごくよくわかります。多くの戦争の被害って、戦争を起こした理由そのものとは全然違うところに現れてくるんです。
Q:2023年には『福田村事件』が公開されましたが、日本では戦争にまつわる「加害」を描いた作品は多くはありません。今回、監督の中には、すずさんも加害の一端を担っていたという思いがあるそうですね。
片渕:直接的に暴力を振るうような加害はわかりやすいのですが、別の切り口からも考える必要があるのではないか、と『この世界の片隅に』を準備しながら考えました。日本の韓国併合は1910年ので、それは第二次世界大戦よりもずっと前。そうした経緯が薄れてしまっている。戦時中に朝鮮から連れて来られた徴用工のことも重要ですが、もっと遡ったところにあった植民地支配そのものを考えるべきなのではないだろうか、と。
ごく簡略化して言ってしまうと植民地って食料供給源なんです。戦前に朝鮮や台湾でお米を作っていた農業技師の話をいくつも読んだんですが、そこではいかに日本人の口に合うお米を作るかというひじょうな苦心談が語られている。それは美談みたいなんだけど、やっぱり日本人のために米を作っていたのだなと。対米戦開始前のの米の食料自給率は確か70~80%くらいだったかな、残りは外地米です。朝鮮米と台湾米で、さらに、タイやベトナムなどからも持って来るようになります。
映画では触れていないのですが、呉工廠で働いた女学生たちには、昼食として脱脂大豆粕が出ていたそうです。大豆のカスです。その大豆はどこで生産されていたかというと、これが満州の広大な畑なんです。大豆を絞ると油が取れて、それは軍艦の燃料にもなる。そこで出た粕の方を食料にしていた。昔の粕の説明を読むと、“ヤップ島の石の貨幣型”って書いてあるんです。圧縮されて硬く大きなドーナツ状になっていた。その塊をくるくる回しながら刃物を当てるとコーンフレーク状のものが取れると。「どっかで食べられないかな?」と聞いてみたら、「今でもありますよ。ウサギのエサです」と言われました。そんなものを日常食として食べていたんですね。
終戦80年上映『この世界の片隅に』© 2019 こうの史代・コアミックス / 「この世界の片隅に」製作委員会
健気に家事をこなしていたすずさんの前には、そういった植民地から来た物が配給されていたわけです。おそらくずっと気付かないまま、それを健気に調理していた。健気なんですけれどね、それでもその事実自体が、すずさんというごく普通の生き方しかしてなかった人をも加害側に含めさせてしまってるんですよ。殴る蹴るの暴力じゃなくても、普通にご飯を食べること自体が、もう既に加害の一端だったのだと。これについては、原作のとあるセリフを「海の向こうから来た食べ物でできている」といった内容に変えることで表現したので、もしかしたら気づく方もいるかもしれませんが、なぜセリフの内容が変わったのか、その意味を考えてほしいのです。
ただ、「この世界の片隅に」という漫画自体、いろんなものを伏せたまま進む話です。終戦後の昭和21年の1月に、広島の相生橋の上ですずと周作が街の風景を眺めながら、「この街も自分たちも変わってしまった」と言うシーンがありますが、原作のこうのさんはどう変わったかなんて、かけらも見せないんです。そもそもその橋が何橋なのかも説明されてない。形から辿って相生橋であることがわかる。すると、その眼の前には中島本町という街が廃墟になった姿があるはず。なのに、それをこうのさんはあえて描かない。そこは受け手側の能動性、主体性によって調べてたどり着くことに期待したい気持ちがある。そうしたものこそが、どうも「この世界の片隅に」というものの正体ではないかなと。こうのさんは確実にそういう姿勢を持たれていますね。かなり読み進むまで“広島”という言葉自体出てこないですから。
そんなことを考えたら、「当時のご飯はこんなお米でできていました」というようなことも、ことさら大きな声で説明するのはやめようと。だから先ほど話した“原作と違うセリフ”はちょっと小さめに入れてあるんです。『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』のときに、音を大きくしようかなとも思ったのですが、やっぱりやめました。誰か気づいた人が、「そういうことだったのか」という答えにまで、ご自分でたどり着くべきなんです。自力で気づいた方にはこれまで2人出会いました。