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『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』確かに、あのとき、生きていた――「怒り」を排した、鎮魂の日常劇

『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』確かに、あのとき、生きていた――「怒り」を排した、鎮魂の日常劇

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「戦争映画」のイメージを刷新する「日常のドラマ」



 世界がどんな色をしていても、人はそこで生まれ、育ち、学び、生きる。

 恋に落ちて、愛を分け合って、命をつないでいく。普遍で不変の真理。


 『この世界の片隅に』(16)は、実に不思議な映画だ。死のにおいがすぐそばにあるのに、温もりに満ちている。戦争という悲劇に容赦なく進む構成ながらも、スクリーンに広がるのはのんびり屋さんな女性の優しい日常。きっと誰も知ることのない、世界の片隅で起こっていた小市民の生活の記録だ。


 誤解を恐れずに言えば、どこにでもあるちっぽけな話。それなのに、市井の人々の感情の機微、ささやかな喜びや淡々とした哀しみに、どうしようもなく心を動かされてしまう。それは、彼らが時代の暗がりとして感じていたであろう悲劇的な「未来」=結末を、我々が既に知ってしまっているから。ただ、この映画は現代のフィルターで過去を脚色しない。


 『この世界の片隅に』を観ていると、当たり前の感情――戦時下の彼らは死に向かって生きていたのではなく、目の前の生を謳歌していたのだ――ということに気づかされる。



 彼女たちが悲劇の時代に生まれ落ちてしまったと見る現代の「目」と、兵役も食糧配給も周囲のすべてを“普通”のものとして生きている登場人物の「心」の、ギャップ。『この世界の片隅に』が示したそのズレに我々は驚かされ、当時の人々の生命力に胸を打たれた。本作は、知らず知らずのうちに日本人の中で凝り固まっていた「戦争映画」のイメージをさらりと覆した、エポックメイキングな映画だったといえるだろう。


 その『この世界の片隅に』が、新たなシーンを追加した「完全版」として帰ってくる。今回紹介する『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』は、前作(現行版)に約250の新規カットを追加した、優しくも哀しい、残酷で穏やかな大河だ。


 舞台は、昭和19年。広島・呉の一家に嫁いだ女性・すずは、慣れない新生活や戦時下の困窮した状況に直面しつつも、持ち前のおおらかさで周囲を笑顔にしていく。先ほども述べたとおり、(今の時代の我々から観ると)ハッピーな物語ではないのだが、それでも粛々と日々を慈しみ、小さな幸せを手折っていくすずの姿は、慈愛と救済の心に満ちている。あの時代の片隅で、笑顔を絶やさずに生き続けた人たちがいたということ。本作ではすずや、遊郭で働く友人リンの心情描写が大幅に加筆されており、味わいと哀愁が一層増している。



 監督・脚本を務めた片渕須直は、マスコミに向けた資料内で「本作は現行版に比して深刻さのレベルが変わる」と語っており、名実ともに、本作をもって『この世界の片隅に』は「完成」したのかもしれない。



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