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『ちひろさん』、有村架純と海辺の町【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.22】

©2023 Asmik Ace, Inc. ©安田弘之(秋田書店)2014

『ちひろさん』、有村架純と海辺の町【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.22】

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 僕は(不勉強なことに)安田弘之の原作マンガ(『ちひろ』『ちひろさん』)をまったく読んだことがなく、ほぼ予備知識ない状態で今泉力哉監督の映画『ちひろさん』(23)を見たのだった。海辺の町の小さなお弁当屋さんで働く女性の物語だった。主演の有村架純がとんでもなく魅力的で、有村架純に見入ってるだけでエンドマークを迎えてしまう。不思議な映画だ。有村架純を見ているだけで大満足。好きな言葉じゃないので極力使いたくないのだが「癒される」。ロケ地は焼津市の小川港だそうだが、有村架純とあの海辺の町があったら圧勝ではないか。最近の言い回しで「いくらでも見ていられる」ってやつだ。


 最初に「お弁当屋さんで働く女性の物語」と紹介したが、これがあんまり物語っぽくないのだ。例えば「対立する大手弁当チェーンと戦って、小さな店を死守する」みたいなドラマっぽい構造がない。出来事は起きているといえば起きているのだが、大事には至らず、未然に回収される。それがどこへ回収されるかというと、ちひろさんという女性のパーソナリティへだ。僕は一種の「聖性」を思い浮かべたのだが、もう何というかマリア様のような慈愛や聖性をたたえた女性がお弁当屋さんで働いているのだ。笑顔が最高に可愛い。町の人気者だ。


 だけど、ただの人気者じゃない。彼女には奇妙な波長がある。それはたぶん「寂しい者の波長」、「寂しいけれどそれを受け入れ、仕方ないとあきらめている者の波長」のような感覚だ。それが別の「寂しい者」を引きつける。世の中とうまく折り合いをつけられずにいる、同じ波長を持った者を引き寄せる。


 有村架純の芝居はトーンを抑えている。インタビューを読むとセリフ回しで低い声域を使うなどして、対人的な距離感を心掛けたそうだ。確かにちひろさんは(顔なじみとの会話でも)トーンが弾けない。同調して、テンションを合わせることがない。徹底的に一人だ。徹底的に寂しい。これはどういうことなのかなぁと思って、安田弘之さんのマンガを読んでみたりした。この種の寂しさは僕も昔、知っていた気がするのだ。知っていたけど、どこかに置き忘れてきた気がするのだ。


 「オカジ」という登場人物のことを考えた。家族とうまくいかず、学校でも存在感の希薄な高校2年の女子。「オカジ」は飾らず本音で生きるちひろさんに憧れるのだ。ちひろさんの存在は「オカジ」が「きびしい現実社会」に向き合うまでのモラトリアムというか、心理的なシェルターのようになる。「オカジ」はちひろさんと一緒にいると息が継げるのだ。安心する。もういっぺん苦手な表現を使うと「癒される」。



NETFLIX映画『ちひろさん』©2023 Asmik Ace, Inc.  ©安田弘之(秋田書店)2014


 で、「オカジ」の側から描いた青春ストーリーの類型ってあったなぁと思うのだ。多くは少年が主人公の成長物語。例えば青春の終わり、ひと夏の体験を経て、少年が大人になっていくようなストーリーだ。その種の物語には触媒として、ちひろさんのような存在が登場する。昔のマンガならバイク屋のオヤジさんとか喫茶店のマスターとか、そんな感じだ。主人公を繭のように包んで世間から守ってくれる。親や教師ではない大人。ニュアンスとしては「大人になりきれない大人」。


 『ちひろさん』の物語世界のなかで、もしかしたら「オカジ」にはちひろさんがそう見えているかもしれないなと思う。大人になりきれない大人。わかってくれる大人。だけど、ちひろさんは「青春」側に立った人物じゃない。「青春」の理解者ってわけじゃない。浮浪者の老人をお風呂に入れてあげたりする(この老人が鈴木慶一でびっくりした!)。つまり、ちひろさんは出会った人にできるだけ親切であろうとしているだけだ。青春の理解者でも老人の味方でも何でもない。


 僕はこの映画に搭載されたエンジンが知りたくて右往左往した。本当に不思議な映画だ。始まったら最後、エンドマークまで持ってかれてしまう。ネタバレも何も、特段これといった出来事はない。だけど、大満足なのだ。率直に感想を言うと「有村架純は大変可愛い」か「有村架純は胸が詰まるほど寂しい」のどちらかだ。ひょっとして有村架純自身が搭載エンジンなのか。


 キャラクター造形の大前提として、ちひろさんは「元風俗嬢」だというのがある。この設定をめぐってフェミニズムの論者から「元風俗嬢というくびきは女性を実際に長く縛るものであり、大概は秘匿される。それを公表し、自然体で生きられるように描くのはどうなのか」といった指摘がある。僕は「ちひろさん」の聖性の説明が「元風俗嬢」というだけじゃ平仄(ひょうそく)が合わないなぁと感じる。もしそんな話だとしたらあまりにも陳腐だ。そもそも安田弘之のマンガはあんなに強く支持されてないだろう。


 原作マンガの「ちひろさん」と映画の「ちひろさん」はちょっと印象が違う。マンガのほうが生身に思える。有村架純の「ちひろさん」はあり得ないくらい可愛くて、こう、捉えどころがない。


 有村架純の「ちひろさん」がいちばん生身の存在感を見せるのはリリー・フランキー演じる「元風俗店・店長」との再会のシークエンスだった。僕は有村&リリー・フランキーの共演場面はこの映画の宝石だと思う。2人とも「生れ落ちてからずっと痛い目に遭って、心のひだに悲しいこと、寂しいことをため込んだ人」に見える。そういう人が心を許し合って、ホッと息をついてる感じに見える。店長の前では「元風俗嬢」も何もないもんなぁ。僕は(作中、「同じ星の人」と形容される)2人の共演場面が涙が出るほど好きだ。



文:えのきどいちろう

1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido



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配給:アスミック・エース

©2023 Asmik Ace, Inc.  ©安田弘之(秋田書店)2014

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