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『ボーイ・ミーツ・ガール』パリの夜の再発明、贋物の星々の光に身を投げる

『ボーイ・ミーツ・ガール』パリの夜の再発明、贋物の星々の光に身を投げる

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『ボーイ・ミーツ・ガール』あらすじ

作家セリーヌの「なしくずしの死」をゆっくりと読む子供のような声にいざなわれ、夜のパリを彷徨うふたつの孤独な魂の出会い。親友に恋人をとられたアレックスは、恋人とケンカしたミレーユと偶然出会う。一目惚れ、そしてやがてくる思わぬ悲劇が、コップの水が静かに溢れ出すような緊張感で語られる。


Index


贋物の星々に照らされた映画



 すべては部屋の壁に散りばめられた星々から始まった。“恐るべき子供”、“真の作家”の登場と呼ばれた23歳のレオス・カラックスの長編デビュー作『ボーイ・ミーツ・ガール』(84)のファーストショットは、薄明りの子供部屋から始まる。贋物の星々がこの映画の夜を照らしている。白黒フィルムで撮られた水面。セーヌ川を覆う深い闇。バトー・ムッシュ(遊覧船)の光は、露出オーバーで滲んでいる。シーンは変わり、小さな娘を膝に乗せた女性が車を運転している。スキーの板が、フロントガラスを突き破っている。小さな女の子の髪が風になびく。ここには夜の風を素肌に浴びる感覚がある。Jo Lemaire & Flouzeによるセルジュ・ゲンズブールの曲「Je suis venu te dire que je m'en vais」のカバーが流れる。シンセサイザーの音の粒が、ファーストショットの星々の輝きと響き合う。ピンボールマシンの内部や、コピー機の明滅する光。テレビに映る子供向け番組「おやすみなさい こどもたち」で、人形が眠っている子供たちに振り撒く星の粒。この映画は贋物の星々が照らす、光の交響曲のような作品だ。登場人物たちは、贋物の星や月を見上げる。ここには意図的な人工性がある。レオス・カラックスは言った。「夜はそれ自体がスタジオのようなものだった」。


 夢を実現するには若すぎるのか、もはや歳を取りすぎているのか。早すぎるのか、手遅れなのか。間に合うのか、間に合わないのか。本作には兵役に向かう直前の若者の焦燥感が描かれていると同時に、死期を見据えて自叙伝をノートに書くような、人生を俯瞰する感覚がある。アレックス(ドニ・ラヴァン)は自分を神話化させようとしている。部屋の壁に日付入りの“自分史”を書き記していく。アレックスは兵役の直前に恋人のフロランスを親友に奪われる。彼が壁に書き記す最新の“自分史”は、「最初の殺人未遂  83年5月25日」である。



『ボーイ・ミーツ・ガール』4Kレストア版


 セーヌ川沿いでアレックスは、親友の首を絞める。親友の首を絞めているときのアレックス=ドニ・ラヴァンの表情が、クローズアップで執拗に長く捉えられる。それは破局的なスローモーションのように見える。アレックスは自分のしていることの浅はかさに気付き、その場を走り去る。しかし、全力で再び戻ってきて、親友を川に突き落とす。バルバラのレコードを万引きして逃走するシーンが象徴的だが、アレックスは、“行って、また戻る”という行動を好んでいる。それはありきたりなイメージを超えようとする試み、デジャ・ヴ(既視感)を超えようとする試みなのかもしれない。


 自称“未来の映画作家”であるアレックスは、イメージを追いかける若者だ。彼のイメージの先にミレーユ(ミレーユ・ペリエ)がいる。しかしアレックスにおけるイメージとは、追いかけるものであり、既に追い越されたものでもある。本作は『デジャ・ヴ』という脚本を元にしている。既視感との戦い。ミレーユ・ペリエの回想によると、レオス・カラックスが17歳のときにアンナ・カリーナを想定して書いた脚本が、後に『デジャ・ヴ』となり、それが『ボーイ・ミーツ・ガール』につながっていったという。レオス・カラックスは、あらゆる映画監督のデビュー作について、「20年以上かけて準備する唯一の映画」だと述べている。本作は若きレオス・カラックスが人生を総括する“私映画”であり、同時に当時のパートナーであるミレーユ・ペリエの“私映画”ともいえる。





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