2026.02.24
アケルマン、デュラス、カラックス
アラン・ダアンは、レオス・カラックスがイエール映画祭で短編映画グランプリを受賞した『絞殺のブルース』(80)に感銘を受け、『ボーイ・ミーツ・ガール』の資金援助を申し出たといわれている。白黒フィルム。夜の深い闇。光によって浮かび上がるヒロインのクローズアップ。そして雪崩のような囁き言葉が強烈な印象を残す短編『絞殺のブルース』は、『ボーイ・ミーツ・ガール』の原型ともいえる作品である(「愛は歳をとり、恋人たちは疲れている」という台詞もよく似ている)。レオス・カラックスと同時期にカイエ・デュ・シネマで批評を書いていたオリヴィエ・アサイヤスは、「慎み深く繊細」であると、この作品を評価している。アラン・ダアンは『ポンヌフの恋人』(91)に至るまで、「アレックス3部作」のプロデューサーを務め、レオス・カラックスの創作を支えることになる(1992年に死去)。アラン・ダアンとの相関図でいえば、レオス・カラックスは晩年のシャンタル・アケルマンと友人関係にあったという。方法論はまったく違うが、空間における身振りの彫刻、エネルギーの所在と不在を硬質なタッチで描くという点において、シャンタル・アケルマンの『一晩中』(82)は、『ボーイ・ミーツ・ガール』と共振しているといえる。
10代のレオス・カラックスは、カイエ・デュ・シネマで批評を書いていた。シルヴェスター・スタローン主演の『パラダイス・アレイ』(78)に始まり、『ロッキー2』(79)に至るまで、数本の記事が残されている。イエジー・スコリモフスキやロバート・クレイマー、オタール・イオセリアーニの作品への賛辞も興味深いが、この中でもっともレオス・カラックスが情熱的で、詩的な表現力を発揮している批評は、マルグリット・デュラスの3本の映画について書かれた文章だと感じる。この文章にはレオス・カラックスの映画における、“水のテーマ”を読み解く手がかりがある。レオス・カラックスはマルグリット・デュラスの美しい映画に描かれた川の水に、“声”を運ぶもの、復活、蘇生の過程を見出している。『ボーイ・ミーツ・ガール』の冒頭では、女性が別れたパートナーの詩と絵をセーヌ川に投げるシーンがある。『ポンヌフの恋人』では、ハンスの死別した妻が、この川に身を投げている(ハンスも身を投げることになる)。レオス・カラックスの映画において川の水は、世界から忘却された魂を蘇生させるためにあるのではないだろうか。だからこそ『ポンヌフの恋人』の恋人たちは、一度川に落ちて浮かび上がることで、魂の蘇生、解放へ向かっていく。

『ボーイ・ミーツ・ガール』4Kレストア版
『ボーイ・ミーツ・ガール』における、暗闇に浮かぶ仮面のような顔のオーバーラップは、レオス・カラックスがフェイバリットに挙げている、ジャン・エプシュタインによるサイレント映画『Coeur Fidèle(真実の心)』(1923)にヒントがあるように思える。この作品において川の水は、登場人物の顔のクローズアップと二重映しにされている。川の水はイメージを運び、それを映し出す“スクリーン”となる。そしてサイレント映画の“不条理な再発明”は、レオス・カラックスのフィルモグラフィーを貫くテーマである。