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『帰れない山』、焦がれ、さすらう魂【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.27】

© 2022 WILDSIDE S.R.L. – RUFUS BV – MENUETTO BV –PYRAMIDE PRODUCTIONS SAS – VISION DISTRIBUTION S.P.A

『帰れない山』、焦がれ、さすらう魂【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.27】

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 これは美しい映画でした。北イタリアのモンテ・ローザ山麓やトリノが舞台です。モンテ・ローザはスイス国境に所在し、アルプス山脈で2番目に高い山です。僕はユヴェントスの試合を見にトリノへ行ったことがありますけど、めちゃくちゃ寒かった。1月のナイトゲームです。確か気温は0℃とか1℃くらいなんだけど、それより風が本当に冷たい。あぁ、これが本当の「アルプスおろし」かと変に納得した覚えがあります。あの冷たい風はモンテ・ローザのほうから吹き降ろしていたんですね。


 映画の序盤はそのモンテ・ローザ山麓で2人の少年が出会うストーリーです。父親に連れられてトリノから来たピエトロと、山で暮らすブルーノ。都会っ子と牛飼いの少年はすぐ打ち解けて仲良くなる。夏の休暇シーズンのモンテ・ローザは素晴らしい景色です。これは単に「少年時代の追想」という以上の説得力をもって、見る者の胸に迫る。あぁ、こんなに美しいのだから、主人公の少年らはこの景色を一生忘れられないなぁ、人生上の決定的な影響を受けるだろうなぁと思う。


 で、大前提を言い忘れてたんですが、これはパオロ・コニェッティの世界的ベストセラー小説の忠実な映像化です。パオロ・コニェッティという作家はこの『帰れない山』のほか『フォンターネ 山小屋の生活』が日本語に訳されています。まぁ、純文学(じゅんぶん)ですね。「純文学原作の映画」とは何かってことをひと言で言うと「ひと言で言えない」だと思うんですよ。言えないんだ。シンプルには言えない。複雑な味わいってやつ。例えば『帰れない山』はピエトロとブルーノの友情を描いた作品、って言い方もできなくはないけど、そう言ってしまった途端こぼれおちるものがあって、単純に友情映画とまとめるのは乱暴だぞと思う。


 まぁ、ひと言で言えるなら1行にまとめればいいんで、ひと言で言えないから一冊の本になるわけですね。この世には一冊の本にしないと言えない真実というのがあります。だから映画になってもストーリーが重層的で、とても「ひと言で言えない」。



『帰れない山』© 2022 WILDSIDE S.R.L. – RUFUS BV – MENUETTO BV –PYRAMIDE PRODUCTIONS SAS – VISION DISTRIBUTION S.P.A


 都会っ子、ピエトロは父との心理的相克をずっと抱えて生きます。彼にとって「山」は気弱な少年時代の救いだった友、ブルーノでもあるけれど、もう一方で父親そのものでもある。彼は旅する作家になるのですが、その魂は放浪しつつも、「山」に拘泥しつづけます。


 牛飼いの少年、ブルーノはピエトロと出会い、その後父親に出稼ぎに連れて行かれ、逞しく成長する。で、青年になった2人が偶然再会するんですね。文学青年と労働者、階層も違えば生き方も違う2人が友情を取り戻し、再び「山」へ向かうくだりはグッときます。あの美しいモンテ・ローザの少年時代に回帰してほしいと観客は思っている。友情は不変であってほしいと思っている。


 「山」に拘泥しているのはブルーノも同じです。ピエトロと再会した彼は思い出の地、北アルプスのグラーナ村に山小屋を建てることを決意する。職人だからこれは自力です。ピエトロと協力して、2人で建てる。「山」の生活に戻ったブルーノは本来の自分を取り戻します。やがて「山」で家庭を持ち、揺るぎのない人生を送る。いや、少なくともピエトロにはそう見えていたんですね。


 さて、(あんまりストーリーの詳細に触れたくないので)一般論として言いますが、「揺るぎのない人生」って何でしょうか? そんなもの本当にあるのか。あったとしたら変化のない、起伏のない人生だろうか。それは強い生き方なのだろうか。それとも変化を怖れる、弱い生き方なのだろうか。


 示唆に富んだセリフがあります。それは山小屋の近くに植える木についてのセリフです。気候や植生の関係なのか、その木は土地に植えられてると強いって言うんです。だけど、別の土地に植え替えると弱い。「揺るぎのない人生」ってそんなものかもしれませんね。その土地に植えられてるから揺るぎなく、強く見える。けれど、別の見方をすれば弱いものでもある。ピエトロにブルーノが揺るぎなく見えるってことは、本人にとっては「山」以外なんにもないってことです。ブルーノはそれに直面していく。自分には「山」しかないことに直面していく。


 それからもうひとつ印象的なフレーズが登場します。それはネパールを放浪してるとき、ピエトロが老人に言われたという「8つの山」です。老人はピエトロに尋ねたそうです。「あなたは8つの山をめぐっているのか?」。これね、表題なんです。小説も映画も『帰れない山』という邦題だけど、原作は直訳すると「8つの山」。映画をサラッと見ただけだと、意味深ではあるけれど、よくわからないまま流れていってしまうセリフというかフレーズなんです。でも、すごく重要。


 小説で確認しました。これは哲学的なフレーズなんですね。須弥山を囲む8つの山。古代インドの世界観では中心にそびえる聖山を「須弥山」(しゅみせん)と考えます。この考え方は仏教、ヒンドゥー教等でも受け継がれていくんですが、その須弥山を取り囲むようにして8つの山と8つの海がある。ネパールの老人はその「取り囲む8つの山」のことを言ったんです。あなたは「心の真ん中にある山」には二度と帰ることなく、取り囲んでる8つの山をめぐっているのか? 「心の真ん中にある山」を思い、焦がれ、けれどもそこへは戻れず、孤独な放浪を続けているのか?


 邦題の『帰れない山』。フツーは「帰れない」んだから、遭難して、生きて帰れない危険な山を想像しますよね。死の山。登ったら帰れない山。


 でも、この邦題は矢印が逆なんです。帰りたいのに帰れない「心の真ん中にある山」。ずっと思い続けるしかない山。思うままにならない人生。父の記憶。


 そんな複雑なことは「ひと言で言えない」ですよね。言えないんです。その代わり、美しい映画になりました。



文:えのきどいちろう

1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido




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『帰れない山』

5月5日(金)新宿ピカデリー、シネスイッチ銀座、シネ・リーブル池袋ほか全国公開

配給:セテラ ・インターナショナル

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