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『ラ・ボエーム ニューヨーク愛の歌』、歌の魅力にあふれている【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.38】

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『ラ・ボエーム ニューヨーク愛の歌』、歌の魅力にあふれている【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.38】

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 『ラ・ボエーム』は僕のお気に入りの演目です。初めて見たのは1988年、ミラノ・スカラ座日本公演(東京文化会館)ですね。何しろ指揮がカルロス・クライバーです。ロドルフォはペーター・ドヴォルスキー、ミミはミレルラ・フレーニ。確か協賛企業のご招待だったと思うんですが、オペラすげぇな、おいおいと仰天しました。で、まぁ、海外の有名オペラハウスの引っ越し公演ばっかりだとお財布がもちませんから、二期会を「ホームチーム」にしてじゃんじゃん見に行った。今回、ご紹介する映画『ラ・ボエーム ニューヨーク愛の歌』(22)はそのプッチーニの人気演目の翻案ですね。歌の魅力にあふれています。ロドルフォのアリア「冷たい手を」、ミミのアリア「私の名はミミ」と名曲が始まって、ウヒョーって感じです。


 だからオペラ好きの方、オペラに関心はあるけどあんまり縁がないなぁって方におススメします。『ラ・ボエーム ニューヨーク愛の歌』は映画料金でオペラの魅力に触れることができる。


 で、「翻案」って申し上げましたよね。どう翻案したのかが、この音楽映画の面白いところなんです。まず、舞台を1830年代のパリでなく、現代のニューヨークにした。表題の「ラ・ボエーム」っていうのはボヘミアンってことです。元々はジプシー(今の言葉でいう「ロマ」)の人々を意味する用語だったものが、転じて漂流者たち、高等遊民たち、色んな出自を持ち、芸術や自由を愛し、気ままなその日暮らしをする若者を指す言葉になりました。中森明菜の歌にもありましたね。原宿表参道に同名のカフェがあって、昔よく行きました。


 色んな出自を持った若者が集まる、といったら現代のニューヨークもそうですね。で、僕は予備知識ゼロで試写を見たので、映画が始まって、おおっ、となったんですが、ロドルフォ(詩人、テノール)もミミ(お針子、ソプラノ)も、コッリーネ(哲学者、バス)も東洋人なんですよ。絵の撮り方は舞台劇をそのまま映すんじゃなく、ミュージカル仕立てですから、つまり「ニューヨークの一角で、東洋人の主役カップル(と友人の哲学者)がイタリア語で歌う」という状態が出現します。ここが「翻案」の仕掛けどころなんです。


 僕は何しろ二期会のオペラを見てますから、「コッリーネって役名だけど演じてるのは井上秀明さん」には違和感ないんですね。それに実際問題、養子縁組やミックスかも知れず、見かけが東洋人で名前がコッリーネってフツーにあり得る話ですよね。現代のニューヨークに東洋人や東洋系の移民がいて何の不思議もない。だから、すぐに納得するんですけど、最初は主役2人(ロドルフォとミミ)がシャン・ズウェン、ビジョー・チャンだったんで面食らいました。だってチラシで大きく扱われてるの、ムゼッタ役のラリサ・マルティネスだけですもん。←日本上映版だけでしょうか?



『ラ・ボエーム ニューヨーク愛の歌』© 2022 More Than Musical.All Rights Reserved.


 で、後で知ったんですけど、この映画は香港のオペラカンパニー「モアザンミュージカル」の制作だったんですね。プロデューサー(「モアザンミュージカル」代表)は日本人の長谷川留美子さんという方だそうです。新しいオペラ体験を(香港だけでなく、世界の)若い世代へ向け、提供していきたいということだと思います。まぁ、オペラは敷居が高いですもんね。僕も20代の頃、どんな服装で行ったらいいか考えました(ちゃんとジャケット、ネクタイ着用しました)。ミュージカル仕立ての映画(しかも短い映画)になってたらエントリーしやすいですよ。Tシャツやフーディーで大丈夫です。


 『ラ・ボエーム ニューヨーク愛の歌』の監督さんはレイン・レトマーさんという方で、初めての映画だそうです。元々はビジュアルアーティスト、オペラ監督をされてた方なんですね。コロナ禍の影響で公演が続々と中止になり、オペラの映画化の企画が立ち上がったそうです。


 さて、ようやくコロナという重要なファクターが出てきました。現代のニューヨークに『ラ・ボエーム』の舞台を移し替えたとき、ミミの肺病(病名としては結核です)をどうするかという問題が浮上します。あ、これはネタバレといえばネタバレですが、『ラ・ボエーム』のヒロイン、ミミが肺を病むというのは、『忠臣蔵』が討ち入りするのと同じ、まぁ、常識の範囲内ですね。ま、『タイタニック』が沈没するようなことです。それはネタバレとは呼ばない。だから気にしないで進みますが、映画の途中、あ、ミミはコロナにかかるっていう設定に変わるのかもしれないなと思いました。


 気ままに暮らすニューヨークの若者たち。貧しい暮らしのミミはコロナに罹患する。それはエッセンシャルワーカーの悲劇なのかもしれない。仲間だったはずのみんなは急にマスクをつけて何やら冷淡です。ミミはどうやら忌避されている。それから東洋人のキャスティングが意味を持ち始めます。コロナを「武漢ウイルス」と呼んではばからない人々がいましたね。キャスティングを「翻案」の仕掛けどころと申し上げたのは、まさにその点です。


 現代のニューヨークで『ラ・ボエーム』をやって、主役を東洋人に設定するのは複雑な味わいをつくります。映画のなかで街の落書きや、市民の挙動に「東洋人ヘイト」の影がさします。プッチーニのオペラをそのまま、歌詞も変えない&曲も変えないで通してみせて、「今」の問題をしっかり盛り込むことに成功している。


 もちろんオペラ映画ですから、最大の魅力は歌です。歌を堪能してください。でも、これは世界初演、ミミがコロナにかかる『ラ・ボエーム』なんです。とても面白い試みですね。



文:えのきどいちろう

1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido




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『ラ・ボエーム ニューヨーク愛の歌』

10月6日(金)よりTOHOシネマズシャンテほか全国公開

■配給:フラニー&Co. シネメディア リュミエール

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