©2024 Nekojarashi/BittersEnd/Hitsukisha
『熱のあとに』、狂ってしまったひと【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.46】
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『熱のあとに』は橋本愛が見たい一心で飛び込みました。『桐島、部活やめるってよ』(12)、『あまちゃん』(13)の美少女は作品を選び、とても良いキャリアを積み重ねているように見えます。組んだ監督さんや脚本家、クリエーターが優秀ですね。たぶんそんなに大きなエンジンは搭載してなくて、「何でも挑戦してやるドンと来い」的なタイプじゃないと思うんですが、表現の幅を少しずつ大きくしている。観客としては追いかけ甲斐のある俳優さんですね。映画館の大きなスクリーンでアップになって絵になる。何ともいえない色香が漂い、目線をひとつ下げただけで何かを語れる。僕は橋本愛はテレビじゃなく、断然映画が合ってると思うのです。
その橋本愛がですよ、何と2019年に起きた「新宿ホスト殺人未遂事件」に材を取った映画に出たっていうじゃないですか。飛び込むでしょう。そんなもん絶対見たい。「ホス狂いの橋本愛」を撮ろうって考えた監督さんは天才ですよ。山本英監督ありがとう。一体どんな執着が、どんな悪夢が映ってるかと思うじゃないですか。映画を見る前に僕が想像していたのは「肉」の物語です。肉欲、肉声。生々しい人間の深淵。橋本愛がとめどなく動物として走る映画になっちゃうんだろうなと想像しました。だって彼女が男を刺すんですよ。
だけど、想像は裏切られたんだ。僕の想像って方向として「むんむん」じゃないですか。「肉」の物語。タイトルに出て来る言葉でいえば「熱」です。山本英監督が見ていたのはそこじゃなかった。「熱」のあと。狂おしい執着が主人公「沙苗」をつき動かした後の物語。映画冒頭でいきなり衝撃の刺殺未遂シーンが提示されます。そこに至る説明も一切なし。いちばんドラマチックな場面を最初にバーンと置いて、その後、言ってみれば「非ドラマチック」なあれやこれやを描いて見せる。面白いですよね。クライマックスの後も人生は続く。
『熱のあとに』©2024 Nekojarashi/BittersEnd/Hitsukisha
クライマックスの後も人生は続くんです。「殺人未遂の犯人」は懲役を終え、出所して日常に復帰する。無気力な日々です。やがて仲野太賀演じる「健太」とお見合いをする。「ホス狂い」のあげく、刺殺未遂までした人がお見合いをするんです。それは陳腐といえば陳腐でもあるけど、侮ることのできない実社会のリアリティーですね。そうやって誰でも心のなかの「肉」や衝動に折り合いをつけて暮らしている。「沙苗」は終わった人生を生きていくんです。だから「熱のあと」は冷え冷えしています。この映画のトーンは冷え冷えです。
その冷え冷えは普段、直面しないように気をつけているけれど、よく知ってるものなんです。よく知ってるのに忘れて暮らしてるだけ。わかったりわかってもらえるつもりになっているけれど、人はいつも孤独です。「沙苗」は「健太」に言葉を発しますが、それは投げ出され、垂直に落ちてゆく。「健太」の言葉は「沙苗」を素通りしてゆくだけ。その関係の裂け目は「足立」という登場人物が越してきて表面化しますが、それは単に契機であって、結局のところどうにもならなかった気がします。
だもんで『熱のあとに』は人間のどうにもならなさを見つめた作品、という感じがします。手がかじかむような寒さ、冷え冷え感を味わう。映画のチラシを見ると「その愛は、本物ですか?」「新宿ホスト殺人未遂事件にインスパイアされた鮮烈なる愛の物語」という惹句がおどり、「愛」を強調しているけれど、より正確には「愛の不毛」や「愛の不可能性」を生きる人間の物語じゃないでしょうか。
だから純文学なんです。「どん詰まりの絶望に立つ橋本愛」は純文学でなくてはならない。それだけの美しさがあり、説得力があります。彼女が『熱のあとに』という難しい作品を成立させている。これたぶん全く同じ題材でもっと俗っぽいストーリーにする手もありますよね。ホストクラブのディテール、売掛金の仕組みとか、心理的なコントロールの手口とか、そういうものを見せていく、例えば伊丹十三監督が『マルサの女』(87)等で示した情報性を盛り込むやり方です。だけど山本英監督はそっちはスパッと捨てている。「ホス狂い」(ひとが狂っていくさま)が描きたかったんじゃないですね、「ホス狂いのその後」(狂ってしまったひとの実存)を描いたんです。
最後になりますが仲野太賀の存在感にも触れさせてください。この人のキャリアのなかでは『生きちゃった』(20)をちょっと連想させる役どころですかね。僕はこの人の「拾っていく力」が素晴らしいと思う。だいたい翻弄されるんですよね、時代や運命のような一筋縄ではいかないものに。人間力で抗うけれど翻弄される。でも、物語のカギになる大事なものを拾うんです。拾って拾って拾い続ける。こういうのは何ていうんですかね、リアクション芸とも違うし、強いて言えばキュレーションみたいな感覚。仲野太賀が拾ってくれることでシーンの意味が際立つんですね。好演です。
文:えのきどいちろう
1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido
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『熱のあとに』
2月2日(金)より新宿武蔵野館、渋谷シネクイントほか全国ロードショー中
配給:ビターズ・エンド
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