1. CINEMORE(シネモア)
  2. NEWS/特集
  3. 『マミー』和歌山カレー事件を覚えてますか?【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.59】
『マミー』和歌山カレー事件を覚えてますか?【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.59】

(C)2024digTV

『マミー』和歌山カレー事件を覚えてますか?【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.59】

PAGES

  • 1


 8/3、シアター・イメージフォーラムなどで公開になり、話題沸騰の映画『マミー』(24)です。雑誌編集者やライターの友人・知人が続々「見てきた」「面白かった」と連絡をくれます。今後、全国順次公開なので、地方都市にお住まいの読者の皆さんにも届くことでしょう。これは1998年夏、メディアを席捲することになった「和歌山毒物カレー事件」のその後を追ったドキュメンタリーです。


 ワイドショーで連呼された「林眞須美容疑者」という物言いに覚えはないでしょうか。群がる報道陣に向かってホースの水をかける中年女性の姿をご記憶じゃないでしょうか。まぁ、四半世紀経っていますから、若い読者はピンと来ないのでしょう。何というか、こう「一世を風靡した」というのか、日本じゅうがこの話題で持ち切りになった事件の「主役」です。


 町内の夏まつりのカレー鍋に何者かが猛毒のヒ素を混入し、食べて中毒症状を起こしたうち4人が死亡した陰惨な事件の犯人とされたのが「林眞須美容疑者」でした。現在は最高裁で死刑が確定しているので、正確には「林眞須美死刑囚」と呼ぶべきでしょうか。実は「林眞須美死刑囚」は弁護団により、再審請求されています。映画『マミー』で語り部として登場する長男氏は冤罪を訴えるトークイベントを開催している。僕は映画の公開前、「和歌山カレー事件 長男」名義のXアカウントで彼の存在を知り、家族の誹謗中傷をおそれ、苦悩しているさまに驚きました(一時は映画公開を止めようとされていた)。あぁ、四半世紀経っても傷口はこんなに生々しいのかと感じ入ったのです。


 これは映画を見た友人・知人も口を揃えていることですが、僕も試写を見るまで「和歌山カレー事件のことなら何でも知っている」とタカを括っていました。当時、週刊誌を読み、ワイドショーを見ていた人間なら当たり前に抱く感想だと思います。和歌山カレー事件? ああ、知ってるよ。さんざんテレビでやってたからね。昔のことだからうろ覚えだけど、映画を見れば思い出すよ。あんなに見たからね。林眞須美は逮捕されたんだよね。懐かしいなぁ。いっぺん答え合わせのつもりでドキュメンタリー見てみようか…。



『マミー』(C)2024digTV


 で、映画『マミー』を見て面食らいます。何でも知ってるつもりだった「和歌山カレー事件」のことを何もわかってなかった。最初は冤罪ってそんな大げさな‥、と思うんだけど、見ているうちに林眞須美がだいぶ根拠の疑わしい証言によって「犯人」に仕立てられていったことがわかってくる。第一、動機不明なんです。状況としては不特定多数を狙ったテロなんだけど、林眞須美にはそんなことして得るものが何もない。映画のなかで夫・林健治と組んで保険金詐欺に手を染めていたことが縷々語られるんですが、(これは林死刑囚の支援者、「ロス疑惑」の三浦和義氏が強く主張してることでもありますが)そんな保険金詐欺のプロともあろう者が一文にもならない無差別テロなんかやるもんでしょうか。


 「保険金詐欺をはたらくようなあやしい人物」として容疑をかけられ、状況証拠だけで立件された感じの事件なんですけど、「保険金詐欺をはたらくようなあやしい人物」だからこそお金の引っ張れない犯罪はやらない、という見方も成り立つわけですね。「あやしい=だから犯人」という脊椎反射的な決めつけは危険だったのかもしれない。「あやしい=だからこそ犯人じゃない」の可能性を当時、僕はまったく考えませんでした。


 僕は映画『マミー』を見る感覚が取材に似てるなぁと思ったんですね。ライターの友人とはそんな話をしました。これは読者の皆さんには伝わりにくい話かもしれませんが、ライターの仕事って「取材する前」の方がスッキリしてるんですよ。取材対象の関連図書を読んだりして、頭のなかにコンテが出来上がっている。いっそ取材しないでコタツ記事書いた方がわかりやすいし、時間だって短縮できる。実際ね、取材してみると「思ってたのと違うこと」がじゃんじゃん出てきてわからなくなる。僕はこの「取材してみてわからなくなる」のが好きなんです。簡単に図式化してた頭が混乱し、立ち止まって考え、悩み、結果どんどん沼にハマっていく。取材して簡単にわかるようならあんまりいい取材じゃないと思っている。わからなくなってからが取材です。


 映画『マミー』もそうですね。見る前の方が「和歌山カレー事件のことなら何でも知ってる」と思い込んでいる。見てるうちに「何でも知ってる」の土台がぐらついてきます。あの当時、ワイドショーを通して自分は何を見ていたのかと煩悶する。スプレーで落書きだらけになった林家(当時)の有様を見て、これはメディアリンチだったのではないかと血の気が引き、一家離散した「殺人者の家族」がどんな四半世紀を生きたのかを見て言葉を失います。


 もちろん僕は突っ込んだ取材をしたわけじゃないから、「和歌山カレー事件」が冤罪かどうか判断できません。ただ「あやしい=だから犯人」の短絡はきわめて危なっかしいと思えてきました。



文: えのきどいちろう

1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido



『マミー』を今すぐ予約する↓




『マミー』

シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開中

配給:東風

(C)2024digTV

PAGES

  • 1

この記事をシェア

メールマガジン登録
counter
  1. CINEMORE(シネモア)
  2. NEWS/特集
  3. 『マミー』和歌山カレー事件を覚えてますか?【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.59】