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『ひゃくえむ。』漫画家・魚豊が描く競技哲学を、ロトスコープで描く意義とは

©魚豊・講談社/『ひゃくえむ。』製作委員会

『ひゃくえむ。』漫画家・魚豊が描く競技哲学を、ロトスコープで描く意義とは

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『ひゃくえむ。』あらすじ

生まれつき足が速く、「友達」も「居場所」も手に入れてきたトガシと、辛い現実を忘れるため、ただがむしゃらに走っていた転校生の小宮。トガシは、そんな小宮に速く走る方法を教え、放課後2人で練習を重ねる。打ち込むものを見つけ、貪欲に記録を追うようになる小宮。次第に2人は100m走を通して、ライバルとも親友ともいえる関係になっていった。数年後、天才ランナーとして名を馳せるも、勝ち続けなければいけない恐怖に怯えるトガシ(松坂桃李)の前にトップランナーの一人となった小宮(染谷将太)が現れるー。


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100mという距離、約10秒という時間



 小学生のときは、徒競走で1位になると一目置かれたものだ。それは、生物としての本能的な強さを誇示する機会だからだったのかもしれない。とはいえ、その後成長するに従って、現代の都市生活において“足が速い”ということが、それほど有利な能力ではないという現実を、子どもたちは実感していくこととなる。


 漫画『ひゃくえむ。』の登場人物・トガシは、小学生時代に「たいていの問題(こと)は、100mだけ誰よりも速ければ全部解決する」と豪語する。全国1位の超エリート小学生スプリンターであるトガシ少年だからこそ言える、一つの真理である。しかしそんなアドバンテージを大人になっても維持し続けることは至難の業だ。なぜなら、全ての現役選手のなかで傑出した存在にならねばならないからだ。


 アニメーション映画『ひゃくえむ。』は、『チ。―地球の運動について―』が人気の漫画家・魚豊(うおと)の漫画作品を原作に、100mという距離、約10秒という時間に集中し、速く走ることに人生をかける者たちの戦いを、独特な角度から描いた一作である。



『ひゃくえむ。』©魚豊・講談社/『ひゃくえむ。』製作委員会


 まずストーリーの中心となるのは、100m競技全国1位の小学生・トガシ。小学生のわりに緊張感あるハードボイルドな顔をしている。専門誌の取材を受けるほどのスーパー小学生である彼は、ある日、転校生の小宮がめちゃくちゃなフォームで走っているところに出くわすことになる。人付き合いが苦手な小宮は、「気がまぎれる」と、思い通りにならない現実に肉体を酷使することで対処しているのだという。


 そんな小宮を放っておけなくなったトガシは、「そんな理由で走るの、もったいない」、「100mだけ誰よりも速ければ全部解決する」と、走りを教えることにするのだ。小宮は確かにコミュニケーション能力が低く、今後、社会で不利な状況に追い込まれたり、孤立する可能性が高いかもしれない。しかし、誰もが認める目覚ましい結果を出して脚光を浴びさえすれば、彼の口数の少なさすら好意的に受け止められ、欠点どころか、それこそが速さへの秘訣だとして賞賛されるようになるのではないか。現実の社会がそんなアンフェアなものであるからこそ、ある種の結果が“万能的解決”になり得るのだ。


 とはいえ、そんな真理を説いていたトガシも、大きな壁にぶち当たる。成長して高校生になった彼は、依然として他を圧倒する能力を発揮しながらも、思うようにタイムが縮まらない焦りとプレッシャーから、競技をやめようとまで思い詰めるのだ。しかし陸上部の熱心な先輩に頼まれ走りを見せたことで、トガシはもう一度100m走への情熱を取り戻す。そして高校の全国大会で、小学生時代ぶりに小宮と再会。ライバルとして対決することとなるのである。





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