1. CINEMORE(シネモア)
  2. 映画
  3. ひゃくえむ。
  4. 『ひゃくえむ。』漫画家・魚豊が描く競技哲学を、ロトスコープで描く意義とは
『ひゃくえむ。』漫画家・魚豊が描く競技哲学を、ロトスコープで描く意義とは

©魚豊・講談社/『ひゃくえむ。』製作委員会

『ひゃくえむ。』漫画家・魚豊が描く競技哲学を、ロトスコープで描く意義とは

PAGES


ロトスコープである意義



 ここで走る選手たちを準備段階から捉えたリアリスティックなアニメーション表現は、本作の白眉だといえる。本作で度々見られる、通常の手描きアニメには珍しい、実写的なカメラワークによる演出には、実写映像を基に1コマごとにトレースしながら対象の動きを表現する、「ロトスコープ」という100年以上前に発明された手法が用いられている。監督の岩井澤健治は、長編1作目の『音楽』(20)でも、現在ではアート・アニメーションで使われることが多くなったこの手法を使用。主流から逸脱しながらも現代的な感覚を加味し、魅惑的な世界を表現したことで、アニー賞ノミネートをはじめ、高い評価を得ることとなったのだ。


 さらに本作では、陸上アスリートの協力をあおぎ、本物のスプリントフォームを3DCGで再現、それをベースに作画をおこなっている。とはいえ、たとえば近年の日本の劇場アニメーション作品において、モーションキャプチャーやCGの3Dレイアウトによって競技の臨場感を高め、本作と同様の自在なカメラワークを実現した『THE FIRST SLAM DUNK』(22)や『劇場版ハイキュー!! ゴミ捨て場の決戦』(24)の高精度な表現や作画技術に比べると、後発でありながらややプリミティブな印象を与えられるのも事実。だがそれは、原作漫画の画風や、個人競技の選手の主観という観点から見ると正当化できる部分ではあるだろう。レース直後の大雨の表現が象徴するように、現実と心象風景、そして個々人のレース観が入り混じる本作だからこそ、実写風でありながら感覚的でもあるロトスコープにフィットしやすい面がある。



海棠選手の競技哲学



 本作では、トガシや小宮以外にも選手が登場する。100m元日本代表の親を持ち、トガシと同じくエリートとして騒がれる存在だったが、ブランクを経験した仁神。日本記録保持者であり、国内で絶対王者として君臨を続ける財津。その財津に長らく前を走られ、年下の突き上げに現実を思い知らされながらも競技を続ける熟年選手・海棠など。彼らは、トガシや小宮同様、それぞれの哲学を持って競技に挑んでいる。


 本作のストーリー部分において最も特徴的なのは、やはりこの哲学部分だといえる。“理屈っぽい”とすらいえる選手たちの語りは作中で異様なまでに突出していて、自身の仮説に命をかける『チ。―地球の運動について―』の原作者ならではのアプローチだと思わせる。最も衝撃的なのは、現実を見据えた上でそこから“逃避”することで、常軌を逸した速さを獲得するという、海棠選手の競技哲学だ。



『ひゃくえむ。』©魚豊・講談社/『ひゃくえむ。』製作委員会


 とはいっても、海棠の「現実逃避」による異様なスピードアップや、身体にリスクをかけながら走る小宮の破滅的なスタイルというのは、現実の競技のリアリズムからいえば考えにくい部分がある。100m走は、0.01秒を削るためフォームや走法を矯正し続け科学的な肉体トレーニングを極めていく世界であり、競技中のメンタル面や過度な負荷によって飛躍的に速くなるというのは、一種のファンタジーだと思わせるところがある。その点で本作の物語は、小山ゆうの漫画『スプリンター』の、一部の選手だけが感じ取れるスピリチュアルな感覚の描写にも近いといえる。


 だが海棠は、そんなわれわれの“思い込み”にこそ隙があると言いたいのではないのか。常識から考えれば、もちろん彼らの走法は現実に通用することはないかもしれない。しかし、そのように可能性を規定し、現実や常識を受け入れてしまうことで、自分の枠を自分で狭めてしまう部分もあるのかもしれない。彼らの「10秒」は、ある意味で“人生”そのものが集約された時間として表現されている。社会人になって競技を続けながらも、すっかり野心が削がれ、選手生活を続けることが目下の目標となってしまったトガシに象徴されているのは、そんな枠内に縛られてしまった姿であり、限界に強く抗おうとせず受け入れてしまいがちな人生への類型的態度なのではないか。そしてそれは、『 チ。―地球の運動について―』で「地動説」が迫害された歴史の事実の表現にも通底するものなのだろう。





PAGES

この記事をシェア

メールマガジン登録
  1. CINEMORE(シネモア)
  2. 映画
  3. ひゃくえむ。
  4. 『ひゃくえむ。』漫画家・魚豊が描く競技哲学を、ロトスコープで描く意義とは