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『本日公休』山本頭の謎としゃぼんの匂い【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.62】
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台中の街角。大きなガラス窓に「家庭理髪 学生頭 山本頭 西装頭 平頭」と大書された理髪店があるんです。その女店主、アールイさん(ルー・シャオフェン)が『本日公休』(23)の主人公です。常連客相手の昔ながらの理髪店。赤白青のサインポールが回っていて、お客さんは椅子に座って「いつもどおりで?」「いつもどおりで」みたいなやりとりですべて事足りてしまう店。台湾旅行をすると僕らは記憶の中の「昭和の街並み」を歩いているような錯覚に陥り、むせ返るような懐かしさにつつまれるんですが、アールイさんの店もそんな感じです。
「昭和」というワードを出したので、いきなりちょっと脱線しますね。ガラス窓に掲示された「学生頭」や「西装頭」は何となく想像できるじゃないですか。「平頭」も短く刈りこんだ感じかな?、と当て推量できる。わからないのは「山本頭」ですよ。そんな地方都市の理髪店の店頭に(しかも2番目に)書くくらいだから、台湾ではポピュラーな髪型なのだろう。だけど、山本って日本人の名字じゃないか?
そうしたらね、「昭和」の残照なんですよ。「山本頭」の山本は海軍大将・山本五十六だった(!)。ひたいをM字型に剃り込んだ短髪らしいんです。台湾では長く壮年男性の男らしさの象徴だった。僕はときどき山本五十六の故郷、新潟県長岡市へ行きますけど「山本頭」なんて書いた理髪店見たことないですよ。日本の軍人さんの名前がヘアスタイルとして台湾に残ってるって色々思うところありますね。
『本日公休』はそのアールイさんの理髪店がお休みを取る話です。雇用されてるわけじゃないんだけど、「公休」っていうんですね。店のシャッターのところに「本日公休」って赤い札が出される。なぜアールイさんはお店を休むかっていうと、かつて常連客だった「市場のそばの歯科医院のコ先生」が体調を崩されたと聞いたからです。何十年もずーっと通ってくれた常連のコ先生の髪を出張で整えるんです。コ先生は台湾中部の田舎町、彰化(ジャンホワ)に引っ込まれてるんですね。台中からはちょっと遠い。アールイさんは1人でクルマを運転して行こうと思う。古いボルボ240GLです。頑丈がとりえの四角ーいクルマ。だから、『本日公休』は半分はロードムービーです。普段は年じゅう、お店にいてどこへも出かけない理髪店のおばさんが(道に迷いながら)台湾の田舎を旅する。
この彰化への旅は映画の主題を浮き上がらせます。僕は『本日公休』は人の距離感の映画だと思った。理髪店の店主と常連客だから、親子とか家族みたいな濃密な関係性じゃないんですよ。本来的にはお金の関係です。他人といえば他人。それはそうなんだけど、ずーっとつき合ってるわけです。「いつもどおりで?」「いつもどおりで」みたいな簡単なやりとりしかしないけれど、若いときから髪が薄くなってくる老境まで、ずっとその人のことを見ている。映画のなかに「後頭部で何でもわかる」ってセリフが出てくるんですが、理容師さんは(家族みたいな濃密な関係性ではないけれど)ずっと鏡と後頭部を見ている。その人の時間経過とつき合っているんです。
『本日公休』(c) 2023 Bole Film Co., Ltd. ASOBI Production Co., Ltd. All Rights Reserved
それは理髪店を介した小さなコミュニティーですよね。ご町内サイズの人間関係。彰化への旅はその「ご町内サイズ」をこの際、延長させて「ご町外」にしちゃった感じです。遠くに行っても(久しぶりでも)コ先生はコミュニティーの一員であり、アールイさんが髪を切るべき相手なんですね。そう思ったからアールイさんはボルボで旅に出た。
アールイさんには成人した娘が2人、息子が1人います。急に「本日公休」で店を空けちゃったもんだから、3人の子どもは大あわてする。アールイさんはケータイも忘れて出かけました。まぁ、いいじゃないですか。クルマは娘の1人が離婚した元だんなさん(整備工)が面倒みてくれました。これも距離感です。離婚しちゃった元・義理の息子でもアールイさんは(薄ーいけど)親身なつき合いを続ける。
僕はね、家族って色んな時期があるけどなんとなーく繋がってるイメージなんですよ。若い時期は反発したり反目したり、エネルギーをぶつけ合うようなことがあるかもしれないけど、「家族」ってまとまりは変わらない。まとまりのなかで成長する者も、老いて衰弱する者もいる。ある時期、反目していても時間経過のなかで形を変えていったりする。
家族でさえそうなんだから、「ご町内サイズ」のコミュニティーなら尚のことでしょう。いいことも悪いことも、色んな出来事があるけれど、そのまとまりは維持されるんです。そういうまとまりが例えば地方都市、台中の街角にありましたね、それは素敵でしたね、って言ってる映画です。もしかしていつか失われてしまうかもしれない暗喩として、次娘の「QBハウス」出店(スーパーのなかに入る、「最速カット」の店)のエピソードが差し込まれます。アールイさんの店は子の世代から見ると時代遅れなんですね。
個人的には本当に懐かしく、胸いっぱいになった映画です。僕の母は世田谷の千歳船橋の出で、夏休みになると(普通の人とは逆に)東京へ里帰りしたんですよ。親戚の一軒に理容店の家があって、そこに行くと待合いのソファのところにマンガがいっぱい置いてあった。だもんで毎日、店に入り浸るんです。いつも清潔なしゃぼんや湯気の匂いがしていた。ハサミの音。カミソリを革砥ベルトに当てる音。ヒゲを剃る音。つけっぱなしのテレビetc. もう色んなことを思い出しました。いい映画見たなぁ。
文:えのきどいちろう
1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido
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『本日公休』
9月20日(金)より新宿武蔵野館、シネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー
配給:ザジフィルムズ / オリオフィルムズ
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