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『拳と祈り ー袴田巖の生涯ー』、大ヒットしてほしい【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.64】

(C)Rain field Production

『拳と祈り ー袴田巖の生涯ー』、大ヒットしてほしい【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.64】

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 ニュースによると先頃、無罪が確定した袴田巖さんのところに衆院選の入場整理券が届いたそうです。死刑判決を受け、長らく失ったままになっていた選挙権が復活したんですね。袴田巖さんの冤罪が晴れたことは今年、起きたことで最も嬉しかったひとつです。僕は9月19日、日比谷野音で行われた日弁連主催の「カウントダウン袴田判決」市民集会にも参加したし、10月9日、検察の控訴断念の一報(無罪確定)にもテレビの前でガッツポーズしました。もちろん袴田巖さんと姉の秀子さんの日々を追った映画『拳と祈り ー袴田巖の生涯ー』は断然おススメしたい立場です。この作品は大ヒットしてほしい。


 そもそも僕はボクシングファンなので、いわゆる「袴田事件」(なぜ無罪の人の名前を冠して、今も呼ばなけりゃならないかわかりませんが)は身近というか接点がありました。裁判に関心がある社会派ライターなら「袴田事件」は「名張毒ぶどう酒事件」など、多くの「冤罪(が疑われる)事件」と並列だったかもしれないけれど、僕はそうじゃなかった。後楽園ホールでね、日本ボクシング協会は折にふれて何度も「袴田さんを救おう!」とアピールしてきたんです。日弁連主催のカウントダウン集会にも飯田覚士さん(元WBA世界スーパーフライ級王者)が登壇されたけど、後楽園ホールでも何人もの元チャンプがリングに上がって呼びかけ役を務めた。そりゃファンは関心持ちますよ。僕も署名に応じました。


 映画『拳と祈り』にも日本ボクシング協会の新田渉世さん(現役時代は「新田勝世」、川崎新田ジム会長)や、旧「不二拳」関係者が出てくるけれど、ボクシング界のサポートの温かさは特筆すべきだと思います。袴田さんは勤務していた味噌工場の専務一家4人殺しの罪を「ボクサーくずれ」という予断でおっかぶせられる。「ボクサーくずれ」は怪しい、人殺しをしてもおかしくないという偏見です。そして自白の強要、証拠捏造によって「死刑囚」に仕立て上げられる。ボクシング界はそんな職業差別、偏見に異議を唱えたんです。「袴田巖」の名前はボクシング界にとって特別なものであり続けた。



『拳と祈り ―袴田巖の生涯―』(C)Rain field Production


 またファンにとっては、映画の後半に登場するルービン・ハリケーン・カーターが胸熱です。ルービン・カーターは何と袴田巖さんと全く同じ1966年6月、ニュージャージー州で起きた殺人事件の犯人にされ、無実の罪で終身刑を言い渡された元ボクサーなんですね。ボブ・ディランの『ハリケーン』という歌になったり、映画『ザ・ハリケーン』で描かれたりしたからご記憶の方もおられるでしょう。彼は2014年に亡くなっているから『拳と祈り』のインタビューシーンは貴重です。僕は2人の「冤罪と闘ったヒーロー」が交流を持ち、お互いを激励し合っていたなんてぜんぜん知らなかった。これはスクープです。僕が後楽園ホールに通い始めた20代の頃も「袴田さんは和製ハリケーンだなぁ」なんて仲間と言ってたんですよ。まさか小菅の東京拘置所からアメリカに手紙を出してたなんて。


 ていうか「ルービン・カーターの取材で渡米する」なんて『拳と祈り』の圧倒的な取材力の前では簡単というか当然というか、わかりやすい方です。この作品の本当の凄みは22年に渡る袴田巖さん&秀子さん密着です。僕は笠井千晶監督にしびれます。だってドキュメンタリー、22年撮るってもう仕事になるのかどうかわからない領域ですよ。取材対象の袴田巖さんがどうなるかもわからないし、その前の自分自身の境遇だって22年経過すれば変わる。映画が映画として成立するか賭けみたいなもんです。


 たぶんこの映画は「司法の闇を暴き、袴田さんの名誉回復を果たす」みたいな社会的使命を帯びてスタートしたと思うんです。もちろんその役目は十二分に果たしている。だけどね、密着が長期に及び、あまりに濃密であるから、もうジャーナリスティックな域を超えて、彫りの深い人間ドラマになっている。例えば10月頭、ETV特集で『巖とひで子~袴田事件 58年後の無罪~』という密着ものが放映されたんですけど、作りがぜんぜん違うんですよ。ETV特集はナレーション原稿で絵の意味を説明するんですね。その方がテレビ視聴者にわかりやすいんでしょう。だから「お利口さん(ナレーター)が袴田さんの日々を説明する作り」になっている。


 笠井監督はそういうことをしない。何か説明するとしたら巌さん自身や秀子さんの言葉で伝える。あるいは映画を見ている人に自分で気づかせる。例えば長年の拘留生活で巖さんには「拘禁反応」というものが出ている。密着のカメラは巖さんが室内を異様に歩き回ったり、自分は「天下人」「御身の神」であり「全世界の全権力者」であると妄想を言いつのるシーンを映す。ギョッとします。ギョッとするけれど、そこで安易にナレ原で説明されず、自分で(戸惑いながら)意味合いを考えたのはすごく大事なことでした。


 巖さんの日記が紹介されるんですが、死刑判決の前後で中身がガラッと変わるんですよ。死刑判決の前は明晰な文面です。判決後は妄想の世界に逃げ込んでしまう。僕は震えます。「死刑囚」として歳月に耐えるとはどういうことか? 闘うとはどういうことか? それを支えた姉の生涯とは何か? 映画を見終えた後もずっと考えています。本当に見応えのある傑作です。


 最後に袴田巖さんの悲劇を繰り返さず、冤罪の被害をなくすために再審法の改正を求めたいと思います。冤罪の疑いが濃厚であっても裁判を差し戻せない(戻しにくく、戻せたとしても極端に時間がかかってしまう)現行法は問題があります。



文:えのきどいちろう

1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido



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10月19日(土)よりユーロスペースほか全国順次公開

配給・宣伝:太秦

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