©2023 WIEDEMANN & BERG FILM GMBH / SEVENPICTURES FILM GMBH
『ぼくとパパ、約束の週末』、フットボールと絆の旅路【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.66】
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僕はスカパーでサッカー番組のMCを務めた関係もあって、Jリーグの色んなチームのサポーターと繋がりがあるんですけど、『ぼくとパパ、約束の週末』(23)は公開前から評判になってましたね。ドイツ映画なんですよ。ジェイソン君という少年とパパが週末、ブンデスリーガのスタジアムを巡る。つまり、映画を見るだけでドイツ中のスタジアムを訪ねることができるんですね。人気クラブ、バイエルン・ミュンヘンのアリアンツ・アレーナとか、ドルトムントのジグナル・イドゥナ・パルク(BVBスタジアム・ドルトムント)は行ったことのあるJサポーターも多いと思います。だけど、ジェイソン君とパパの約束は「全部見る」なんですよ。これはもう毎週末、遠征ですよ。ドイツ鉄道のインターシティ・エクスプレス(ICE、ドイツ語で「イー・ツェー・エー」)乗りまくり。
このインターシティ(ドイツの新幹線みたいなやつ)は個人的にも思い出深いです。ジーコジャパンが挑んだ2006年ドイツワールドカップのとき、3週間現地に滞在したんですが、FIFAの取材記者章IDを持っているとそれでインターシティのフリーパスになったんですよ。確か試合のチケットでも無料で自由席に乗せてくれたはずです。ドイツは緑豊かな国ですからね。都市をちょっと離れると田園の風景がずっと続く。『ぼくとパパ、約束の週末』の移動のシーンにそれがふんだんに出てくる。むちゃくちゃ嬉しい。ドイツの旅ってこういう感じです。
さて、ジェイソン君とパパはなぜ「全部見る」約束をしたのでしょう?たぶん「サポーター父子の遠征日記」みたいな映画なら、全チーム全スタジアムは回る必要ないですね。地元チームが1部リーグ所属なら2024-25シーズンなら全18チームだからアウェーは17スタジアムです。他は(カップ戦で当たる可能性があるけど)基本的に対戦がない。だけど、ジェイソン君は「1部から3部まで56チーム」を全部見ると言い、パパもそれを受け入れる。つまり、これは「地元チーム応援のサポ旅」ではないんです。
じゃ、なぜジェイソン君は「全部見る」決意をしたのか?これには深い訳があります。ジェイソン君はASD(自閉症スペクトラム障害)を抱えた少年なんですね。以前は「アスペルガー症候群」「高機能自閉症」と呼ばれたんですが、現在ではASDに包括されるようです。一般的に特徴とされるのは「社会性(対人関係)の障害」「コミュニケーションの障害」「パターン化した興味や活動(こだわり)」といわれています。で、学校でからかいの対象となります。どこのサッカーチームのファンか訊かれて、物理学天文学に強い関心をあったので「アインシュタイン」と答えた。それはサッカーチームじゃないと笑われます。で、家に帰って決意するわけです。自分の推しチームを見つけるために「全部見る」。フツーは地元チームを応援すると思うんですが、ジェイソン君は妥協しない。全部見て、どこを応援するか決める。応援するに値するかには「環境に配慮しているか?」などいくつかの項目があって、それを全部クリアしなきゃダメ。決意は固いのです。
『ぼくとパパ、約束の週末』©2023 WIEDEMANN & BERG FILM GMBH / SEVENPICTURES FILM GMBH
それまで子育てをママに投げて、仕事ひとすじだったパパは猛省し、ジェイソン君ととことんつき合う決心をします。そのため、上司に相談して仕事のやり方を変えさせてもらう(理解のある上司でよかった!)。ああ、かくてジェイソン君とパパの週末サッカー旅が始まります。これが全部ホームゲームを現地で見る決まりです。アウェーチームとして見るのは勘定に入らない。最初は1.FCニュルンベルク(フランケンシュタディオン)でした。かつて清武弘嗣、金崎夢生、長谷部誠らが所属したクラブですね。
面白いのはパパとママ(と母方のおじいちゃん)の推しクラブも「全部見る」に含まれるところです。そりゃ親としては息子に同じチームを応援してもらいたい。週末、どこを見に行くかはジェイソン君がくじで決めるんですが、パパはフォルトゥナ・デュッセルドルフ、ママ(とおじいちゃん)はボルシア・ドルトムントに熱を込めてひっぱり込もうとする。ジェイソン君がフォルトゥナを気に入りかけたときのパパの興奮ぶりはちょっと泣けます。またドルトムントの「南スタンド」(イエローウォール、「黄色い壁」と呼ばれる熱狂的な応援ゾーン)に陣取ると知ったときのママ(とおじいちゃん)の喜びもすんごいわかる。
サッカーネタのツッコミもいいんですよ。バイエルン見に行って、応援歌の「♪バイエルン、永遠にナンバーワン」を聴いて、ジェイソン君が「未来は不可知だから永遠にナンバーワンと言うことはできない」と真顔で言います。これにはアンチ・バイエルンのドイツ人全員、爆笑&拍手喝采だったでしょう(バイエルンは日本のプロ野球でいえば巨人みたいな存在で、全国区の人気を誇る代わりにアンチも多い)。4部リーグのバべルスベルク(カールリープクネヒト・シュタディオン)見に行ったのもすごいです。もうその頃には「21万5千下部リーグ全部見る」って言いだしてます。21万5千クラブ!これはもう遥かな旅路です。映画の最後でジェイソン君とパパが現在も週末の旅を続けていると明かされます。
『ぼくとパパ、約束の週末』が素晴らしいのはサッカー文化を伝えてくれる映画であるにとどまらず、家族の愛情を深く描いているからです。お互いがお互いの抱えているもの(自閉症のことだけでなく、クラブチームを通して出身地や階層性みたいなものまで)を知るきっかけになる。知って理解して、受け入れることが愛情の第一歩ですよね。映画館を出るときはあたたかい気持ちに包まれますよ。
文:えのきどいちろう
1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido
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『ぼくとパパ、約束の週末』
11月15日(金)より新宿ピカデリー、角川シネマ有楽町ほか全国ロードショー
配給:S・D・P
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