
©東村アキコ/集英社 ©2025 映画「かくかくしかじか」製作委員会
『かくかくしかじか』、肯定する力【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.78】
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東村アキコさんの自伝的作品『かくかくしかじか』(集英社)の映画化です。これはとても評価の高い作品で、2015年のマンガ大賞を受賞しています。東村さんによると映画化、ドラマ化の話は何度もあったそうなんです。ただなかなかしっくり来なかった。マンガ原作の映画は(数こそ多いけれど)難しいんです。作者の横溢するイマジネーションを映像に落とし込むとき、往々にしてなんかこう、プアなものに堕してしまう。原作のファンって最初、映画化を大歓迎するけど、仕上がったものを見て最も手厳しい批評家になったりしますね。そもそもキャスティングが違うと言ったり、あの場面はもっと感動的に描かれなくちゃ意味がないと言ったり‥。
僕は順序としては逆でした。先に試写会で映画を見て、おお、これはマンガも読まなくてはと書店に走ったクチです。感動したのはロケーションの完璧さです。特に宮崎の情景が素晴らしい。これ、東村さんがロケハンつき合ったそうですね。宮崎は東村アキコさんの故郷であり、この物語の核になる場所です。ここが美しく描けてなかったら台無しになるところです。これがむちゃくちゃいい。海が胸にしみるんだ。
主演は永野芽郁さんです。東村さんが映画化にゴーを出した決め手になったキャスティングということですが、僕の感覚からしたらちょっと可愛いすぎますね。マンガ家として成功した東京のシーンならともかく、まだ何者でもない「田舎のボーっとしたマンガ好きの高校生」はもっと垢ぬけないもんじゃないのかな。永野芽郁ぜんぜんダサくないんですよ。物語の主題は「肯定する力」に関わってるから、いわゆる青春ものっぽいコンプレックスみたいなもんと無縁でいいのかもしれないですけど。演出の意図は感じましたね。「(主人公の)地元時代」を自虐っぽい、恥ずかしい日々でなく、楽しく、輝かしいものとして描こうっていう。
まぁ、これは「東村アキコが東村アキコになる物語」ですから、あらかじめネタバレしてるようなもんです。そりゃ東村アキコになるわけですよ。ナレーションは現在の東村アキコ(を演じる永野芽郁)が回想の形で語る。「あのときはわからなかったけど、今はわかるよ」みたいなことを言う。だから破綻はないわけです。全部説明してくれる。絵的にはアップの映像が多くて、基本セリフを言う人が映ってる。あ、この人がこういう気持ちで言ってるんだなとわかる。これも演出意図を感じますね。あいまいでなく、明るくてまぎれようのないものを撮りたい。監督は関和亮さんって方です。
『かくかくしかじか』©東村アキコ/集英社 ©2025 映画「かくかくしかじか」製作委員会
若き日の東村さんに決定的な影響を与えた油絵の先生「日高健三」に大泉洋さんが扮します。これが大泉さんには珍しく、ユーモアや軽みのない厳格な人物なんですね。いつも竹刀を持っていて、怒鳴り散らしてばかりいる。ただ心の温かな人なんです。口ぐせは「描け、描け、描け」。まだ何者でもなかった若き日の東村アキコさん(正確には役名の「林明子」さん)のなかにキラキラ光るものを見つけてくれる。
若き日の東村さんは本当はマンガ家になりたかったのです。スパルタの日高先生はそれを知らず、油絵の指導をする。心を込めて、ごまかさずに「描け、描け、描け」と言う。ちゃらんぽらんでサボリ癖があった東村さんは、先生のエネルギーに巻き込まれるように絵と向き合っていく。先生が見つけてくれたキラキラ光るものを信じてみる。先生は強引で、けっこう理不尽です。だけど、強引であっても自分を肯定してくれた。これは一生ものですよ。東村さんはキャリアを通じて、いつも先生の「描け、描け、描け」のエールが聞こえていたはずです。
僕は文章なので「書け、書け、書け」ですが、駆け出しの頃、まったく同じことを言われたのを思い出します。親身になってくれた編集者でした。下手でいいから書け。じゃんじゃん書け。書いてるうちにうまくなるから気にせず書け。すぐ消してしまうと消す癖がつくから万年筆で書け。どうしても書けないときは半日、机に向かって座ってろ。今日も座って明日も座って、明後日も座ってたら書くことが浮かんでくる。
僕もひとのことなんて言えないくらい、ちゃらんぽらんでサボリ癖がありましたからね。「書け、書け、書け」は身にしみた。まず書かないと何も始まらないのです。ライターとして原稿料もらうようになって45年です。たまたま雑誌の全盛時代と20代が重なった幸運もあったけれど、なんとかやって来れたのは親身になってくれた編集者や先輩のおかげですね。45年続けていても、今も「あの頃」に励まされている。
映画全体から伝わってくるのはストレートなメッセージです。東村アキコさんに「描く」ことの何たるかを教えた日高先生の誠実さ。やっぱり作家やマンガ家ってただの「職業」とは違うんですね。生きることそのもの。生きることまるごとが作品になる。少なくとも僕は映画を見てむちゃくちゃやる気が起きました。若い人に届くといいなと思います。若い人を「肯定する力」になればいいなと思います。
文:えのきどいちろう
1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido
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『かくかくしかじか』
5月16日(金)全国ロードショー
配給:ワーナー・ブラザース映画
©東村アキコ/集英社 ©2025 映画「かくかくしかじか」製作委員会
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