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『犬の裁判』、アイロニカルな法廷劇【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.79】

©BANDE À PART - ATELIER DE PRODUCTION - FRANCE 2 CINÉMA - RTS RADIO TÉLÉVISION SUISSE - SRG SSR - 2024

『犬の裁判』、アイロニカルな法廷劇【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.79】

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 犬が被告になった裁判の物語です。まるで童話みたいですけど、実際にあった裁判から着想を得たとのこと。主演&監督を務めたのは本作が長編デビューとなるレティシア・ドッシュさん。彼女は連戦連敗のダメ弁護士、アヴリルを演じます。貧しい依頼人を放っておけず、負け覚悟で奮闘してきたんですね。そうしているうちにもう若くはなくなった。弁護士事務所の上司に呼び出され、次に勝たなかったら解雇と告げられる。後がない状況です。そこに舞い込んできたのが、犬の裁判でした。


 依頼者はどう見てもうだつの上がらない飼い主ダリウチと愛犬コスモス。またしても「社会の負け組」のためにアヴリルは奔走することになります。コスモスはポルトガル人家政婦の顔を噛んでしまって(過去にも二度、人を噛んだ前科?があるそうです)、このままでは殺処分になってしまう。飼い主ダリウチは何とかそれを回避してくれとアヴリルにすがる。アヴリルは何しろ「勝たなかったら解雇」ですから、必死に考えをめぐらす。非常にアイロニカルというか哲学的な作戦を思いつきます。


 それは犬はモノか否かという問いかけでした。この裁判は飼い主ダリウチを被告として行われていて、愛犬コスモスは付属物でしかないのか。判事の提示したジャッジは「罰金1万フラン+殺処分」でした。が、アヴリルはそれはおかしいと異議を唱えます、犬は感情があって生命がある。決してモノではない。犬を人として考えるべきだ。そうしないと一つの罪(家政婦を噛んだ)を罰金(飼い主)と殺処分(犬)、二重に罰するおかしな判決になってしまう。


 何とこのやぶれかぶれの論法が通っちゃいます。二審は犬が被告の裁判が開廷される。動物行動学者や宗教家が証言を求められ、犬用おしゃべりボタン(押すと「オシッコ」と声が出たりする)で本人尋問が行われたりする。このドタバタぶりも面白いんだけど、原告側の女性弁護人が政治家転身(「強いスイス党」!)をもくろむ「街の治安を守るため、危険なペットは排除すべし」運動の推進者だったり、被害者女性が「あんたらブルジョワが私たちポルトガル人家政婦の何を知ってるの!」と怒りをぶちまけたり、あげくはネット世論が真っ二つに割れてどちらも先鋭化したり、まぁ言ったら欧州の今日的な課題、右派の台頭だとか移民問題だとかとリンクしてるんですよね。



『犬の裁判』©BANDE À PART - ATELIER DE PRODUCTION - FRANCE 2 CINÉMA - RTS RADIO TÉLÉVISION SUISSE - SRG SSR - 2024


 僕は裁判という形式を借りながら「ペットをめぐる論点出し」をしていく感じが演劇っぽいなぁと思いました。プロフィールを見るとレティシア・ドッシュさんは演劇のキャリアもある方みたいで、腑に落ちるものがありました。これ、舞台に掛けられると思うんです。まぁ、生身の犬を舞台に上げるかどうかは難しいところ(たぶん犬役の俳優がコスモスを演じた方がうまくいく)ですが、この哲学的でユーモラスな主題は演劇ファンに刺さることでしょう。


 ところで本作は犬の映画であると同時に女性の映画なんですね。殺処分の危機にさらされた犬コスモスと解雇の危機に直面した主人公アヴリルは相似形です。ともに生きることが下手で、失敗続きの人生(犬生?)で後がない。アヴリルは自分の声のことをやけに気にします。テレビで取材に答える自分の声がくぐもっていて、本当の声じゃないと失望する。アヴリルが法廷でオオカミのハウリング(吠え)をテープで聴かせるシーンがあるのですが、犬も本当の声を失っているんですね。人間が長い歳月かけて家畜化し、犬にしてしまったからです。つまり、これは犬と女性の実存に関する映画だといえます。生きてくなかで目減りしてしまった本当の自分についての映画。


 サラっと描かれる「さほど重要でないシーン」にすごくいい台詞があります。スーパーで缶詰のパスタソースを選んでいるとき、ハンサムな男性と出会う。店を出たとき、男性が誘いかけてきます。ぽーんと瓶詰を投げてよこし、「ラベルに電話番号を書いた」と言う。でも、アヴリルは「やめておくわ」と返す。「それはあなたに選ばれた喜びにすぎない。選ばれ続けるために私は必死になる。自分を大切にできない」。


 また別の場面では「人を好きになるには?」と問われて、こう答えます、「みんな自分と違うし、それでいいと思うことね」。アヴリルの負けっぱなしの人生を支えている大切なものはそれなんです。自分を大切にすること。自分とは違うみんなを大切にすること。いやもう、途中から犬とアヴリルをめちゃめちゃ応援してしまいますよ。


 前代未聞の犬の裁判がどう決着するか。それはあなたが映画館で確かめてください。これは「泣ける映画」じゃないし、有名スターが出てるわけでもない。だけど、ユニークな視点を持った秀作です。僕はとても好感を持ちました。



文:えのきどいちろう

1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido



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『犬の裁判』

5/30(金)シネスイッチ銀座・UPLINK吉祥寺他にて全国順次公開

配給:オンリー・ハーツ

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