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『私の見た世界』、逃亡の追体験【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.83】
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これは不思議な作品でした。最初、どういうことだろうと戸惑って、しばらくして、あ、そういうことかと演出意図に気づいてからグーっと惹きつけられましたね。僕はうっかりしたことに「石田えり監督・主演で福田和子事件を描いたもの」というアウトラインしか予備知識がなかった。あとはそうですね、『私の見た世界』(25)というタイトルが、たつき諒の予言漫画『私が見た未来』(2025年7月の「大災難」を予言し話題になるがハズれる)に似ていて、損しそうだなぁと思った程度です。まさか『私の見た世界』が本当に「見た世界」だとは。
たぶん世の中の大多数の人はテレビドラマみたいなわかりやすい演出が好きだと思うんですよ。実験的な手法は大林宣彦監督みたいな巨匠の作品でも苦手っていう人がいる。だから僕は『私の見た世界』を万人にはおススメしません。プロ野球でいえば東京ドームの巨人-阪神戦が見たいって方はシネコンの大作映画が向いてると思うんですよ。ただ僕みたいなタイプ、可能なら釧路市民球場で日本ハム-西武の日没サスペンデッドが見たいって人もいるでしょ。好事家、マニアックな映画ファン、そういう方は絶対に見逃さないでください。
石田えり監督は2019年『CONTROL』という短編を撮っているけど、これが初の長編監督作品です。制作費は自腹です。この人は『釣りバカ日誌』のみち子さん役をずっとやってる人じゃないんだよなぁ。ご事情も色々あったようだけど、降板して浅田美代子のみち子さんになったでしょ。笑顔いっぱいの感じのいいみち子さんにはおさまんない。こう、何か業みたいなもの、内発的なエネルギーを秘めた感じがするんですよね。たぶん映画撮らなきゃこの先へ一歩も進めないと思ったんじゃないか。
思えば俳優として出世作になった根岸吉太郎監督『遠雷』(81)の花森あや子もむせかえるようなエネルギーに満ちていました。栃木のビニールハウスの、トマトと花森あや子の肢体はパンキッシュにさえ感じた。どこへも行き場のない暴力性や衝動を描いて『遠雷』は永遠の名作です。そんな人の描く、あるいは演じる福田和子ってどんなだろうって思いますよね。石田えりは福田和子の逃亡劇をどう映画にするだろう。
ここで福田和子について触れておきましょう。1982年8月に起きた松山ホステス殺人事件の犯人です。犯行後、時効成立目前の1997年7月まで約15年の逃亡生活を送りました。その間、偽名を使い、整形で顔を変えたことで「7つの顔を持つ女」の異名を持つに至り、小説、ドラマ、映画で何度も描かれます。『私の見た世界』はその最新作というわけです。但し、僕の知る限り、『私の見た世界』のように事件を描いた作品はひとつもない。ていうか、犯罪映画史上、稀じゃないでしょうか。
『私の見た世界』(c)2025 Triangle C Project
冒頭、まさか『私の見た世界』が本当に「見た世界」だとは、と申し上げたでしょう。この映画は本当に「見た世界」なんです。俳優石田えりがひと気のない場所にたたずむシーンはある。あるいは闇のなか、ひたすら小走りに逃げてゆくシーンはある。だけど、全編69分の上映時間で石田えりが映るシーンはごくわずかです。ほとんどの絵が「主観映像」っていうのかな、福田和子をモデルとした犯人「佐藤節子」の目に映る光景なんですよ。しばらくして、それに気づいたときは衝撃でした。例えば登場人物が「佐藤節子」に話しかけるとしますね。それはバーの常連客だったり、ラブホテル掃除の同僚だったりする。登場人物はカメラに向かって芝居するんです。カメラに向かってセリフを言う。セリフのリアクション芝居を石田えりがすることはない。カメラ(犯人・佐藤節子の目線)がそれに応じるだけ。
もちろん石田えりはベテラン俳優だから芝居がリアクションの積み重ねで成立していると百も承知でしょう。セリフを言ってる役者じゃなく、言われてるほうの役者の顔を撮る。セリフに感情なんか込めてもうるさいだけです。何なら濱口竜介監督作品のように棒読みで構わない。リアクションで芝居する。リアクションに感情が宿る。石田えりはずっとそうしてキャリアを重ねてきたはずです。それがリアクションの絵のない「主観映像」で映画を撮った。ものすごく実験的です。決まり事を捨てている。
どういう効果を生むかというと、すべての出来事が目の前を素通りしていくんですね。殺人もレイプもヤク中も売春も、逃げ回る先で出くわすこの世の地獄みたいなもんを「佐藤節子」はただ眺めている。スナックのママ、常連客のマザコン男、親切な和菓子屋の主人、ヤクザ、売春旅館の女たち、それら登場人物たちと人間ドラマとして深く関わることなく、ぼんやり眺めている感じになる。虚無感です。人と(本当の意味で)関われない逃亡者の生活ってこういうことなのかと思います。
だから観客は佐藤節子(福田和子)の逃亡生活を追体験することになる。逃げながら彼女が「見た世界」を自分の目で見ることになる。こういう風に殺して、こういう風に逃げて、こういう風に捕まったのかと知ることになる。繰り返しますが、万人にはオススメしません。でも、僕みたいなタイプには面白い作品ですよ。
文:えのきどいちろう
1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido
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『私の見た世界』
7月26日(金)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
配給:トライアングルCプロジェクト
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