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『アイム・スティル・ヒア』、家族の尊厳について【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.84】

©2024 VIDEOFILMES / RT FEATURES / GLOBOPLAY / CONSPIRAÇÃO / MACT PRODUCTIONS / ARTE FRANCE CINÉMA

『アイム・スティル・ヒア』、家族の尊厳について【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.84】

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 マンションの管理人さんと映画『セントラル・ステーション』(98)について話し込んだことがあるんですよ。90年代のブラジル・フランス合作映画です。ベルリン国際映画祭金熊賞(最優秀作品賞)をはじめとして大変高い評価を得ました。リオ・デ・ジャネイロ中央駅で文字の書けない人のために代筆業を営んでいる女性がいるんですね。それがのっぴきならない事情によって9歳の少年と2人、彼の父親を探す旅に出る。たぶんご覧になったらどなたでもその哀感や人情に打たれるような秀作です。ただ管理人さんが主演のフェルナンダ・モンテネグロについてあれこれ教えてくれるのは東京広しといえどうちのマンションぐらいだと思います。


 実はつい3年前まで住み込みの管理人さんをしておられたムラカミさんご夫妻は日系ブラジル人の方だったんですよ。最初にご挨拶をして「ムラカミさんは前はどこに住んでらしたんですか?」と尋ねたら、「ブラジリアですね」と返ってきて仰天したものです。以来、ちょくちょく管理人室を訪ねてサッカーの話をする間柄になった(ムラカミさんご夫妻はジーコがプレーしたブラジルの名門、フラメンゴのファンでした)。映画『セントラル・ステーション』の話はそんな関係性のなかでひょっこり出てきたんです。


 大ヒット作だということでした。ブラジルには(映画に登場する)ジョズエみたいな少年がいっぱいいること、だからこそ映画に説得力があり大衆の共感を得たことなどを話してくれた。フェルナンダ・モンテネグロはブラジルを代表する女優さんで、テレビで人気を博し、映画・舞台へと活躍の場を広げていったそうです。こんなドラマに出てたこんなコメディにも出てたetc、と話してくれたけど、何しろ僕は見てないので細かいところは覚えてません。『セントラル・ステーション』の国際的成功によって彼女は不動の名声を手に入れたそうでした。ムラカミさんご夫妻はその後、ムラカミーニョ(小さなムラカミ。成人された息子さんたち)の待つブラジルへと帰国されて、もうマンション管理室で雑談する機会もないんですが、もし『アイム・スティル・ヒア』(24)を見ていたら、70年代ブラジルの軍政の話を聞かせてくれたと思うんですよね。


 そうなんです、本作『アイム・スティル・ヒア』は『セントラル・ステーション』、『モーターサイクル・ダイアリーズ』(04)の名匠ウォルター・サレス監督の映画なんですよ。しかも、『セントラル・ステーション』でベルリン国際の銀熊賞(女優賞)をもらったフェルナンダ・モンテネグロが娘のフェルナンダ・トーレスと同じひとりの女性を演じ分けている。面白くないわけがないんですね。手練れが息の合ったスタッフなり、役者なりと仕事をした。映画始まって10分ぐらいで魅了されると思いますよ。リオ・デ・ジャネイロのビーチに憩う家族。美しいママ、娘たち。可愛い息子。満ち足りた表情のパパ。その絵があんまりみずみずしくて、逆にこの幸福は崩れ去るんだろうなと予感させます。涙が出るほど輝いてるんですよ。夢のように輝いてるんで、これは夢なのかもしれないと思う。あるいは(二度と取り戻せないものへの)郷愁なのかもしれないと思う。そういうことってないですか? 完全無欠の満月を見ながら、これはこの後欠けていくんだろうなと不吉な思いにかられるような。



『アイム・スティル・ヒア』©2024 VIDEOFILMES / RT FEATURES / GLOBOPLAY / CONSPIRAÇÃO / MACT PRODUCTIONS / ARTE FRANCE CINÉMA


 『アイム・スティル・ヒア』はブラジルの軍政下に起きた、ある家族の悲劇を描いた作品です。ブラジルの軍事独裁政権は1964年のクーデターから1985年まで21年間にわたって続きますが、映画の背景になっているのはエミリオ・ガラスタズ・メディシ将軍が大統領に就任、大学の閉鎖や議員、文化人の追放等、強権的な弾圧を行い、「反体制派」を抑え込んだ時代でしょうか。もちろん主題として「軍事独裁政権の非道」を暴き、「民主化への渇望」を描く、というのがあるわけですが、この映画は声高な政治メッセージを発しません。


 ただ家族の恐怖を見せるのです。ある日、平和に暮らしていた家庭に何人もの男たちが乗り込んできて、パパを取り調べるといって連行してしまう。男たちは私服姿で警官には見えない。捜査令状もなく、何の疑いで連行するのかも言わない。家族は凍り付き、混乱します。誰も何なのかわからないんですよ。ただとてつもなくヤバい感じだけがわかる。


 パパは元議員ですが、今は政治から足を洗っています。軍事政権には批判的でしたが、表立って反政府運動に身を投じていたわけでもない。家族にとっては良きパパでしかありません。それが連れ去られ、どこに拘束され、彼らの言う「取り調べ」を受けているのかまったく知らされません。それは圧倒的な理不尽なんですね。いちばんの働き手がいなくなるから家族は困窮していきます。その様をサレス監督は丹念に見せるのです。家族はその苦難のなかを生きていくんですね。それは政治的なメッセージより強い。僕ら観客は「生きろ」と念じます。負けるな。生きてくれ。


 『アイム・スティル・ヒア』は家族の絆の映画です。パパは連れ去られてもどこへも行かない。まだここに、家族の真ん中にいる。家族の結束は強く、軍事政権には指一本触れることができない。誰の生き方も変えられない。そういうことなんだと思います。とても深い感銘を受けました。



文:えのきどいちろう

1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido




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『アイム・スティル・ヒア』

8月8日(金)新宿武蔵野館ほか全国ロードショー

配給:クロックワークス

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