
© Wildside, Chapter 2, Fremantle España, France 3 Cinema, Pathé Films.
『リモノフ』、過激な扇動者【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.86】
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面白かったなぁ。主人公のエドワルド・リモノフが実在の思想家、政治家、作家で、ロシアの国家ボリシェヴィキ党の創始者と聞くと、国際政治わかんないからなぁと敬遠しそうになりますが、監督のキリル・セレブレンニコフがすごい端的に映画の核心を言ってるんですよ。「ロシアのジョーカー」。ホアキン・フェニックス主演で大ヒットした『ジョーカー』(19)です。あの映画はバットマンの世界線を基軸に現代アメリカの軋(きし)むリアルを撃ったエンタメ作品ですよね。そこへ行くと『リモノフ』は20世紀後半の現実世界の軋みなんです。もちろんドキュメンタリーではないから、誇張も演出もあるんだけど、「ロシアのジョーカー」がいかにして生まれ、名を成し、右傾化した民衆を扇動していったかを描いている。原作になったのは数々の文学賞を受賞した伝記小説『リモノフ』です。著者のエマニュエル・キャレールはリモノフのファンの役柄で何とワンシーン、カメオ出演しています。
じゃ、「ロシアのジョーカー」って何なんでしょうか。このリモノフって人物はものすごい振幅を生きるんですよ。出生はソビエト連邦の化学工業都市ニジニ・ノヴゴロド州のゼルジンスクといわれていますが、映画はウクライナ、ハルキウの工場労働者であり、野心にあふれた若き詩人であるところから出発します。そこからモスクワへ行き地下出版の罪に問われ、モデルのエレナと恋に落ちる。で、エレナと伴ってニューヨークへ渡り、名声を得ようともがくけれど思うにまかせない。その後、パリで業績を積み、ソ連崩壊直前には凱旋帰国を果たすも、社会不安に乗じて若者を扇動、シベリアの監獄へ送られたりする。2000年のモスクワで過激派党員を7000人組織していたといいますから、この「社会不安に乗じて若者を扇動」の部分が「ロシアのジョーカー」たる由縁ですか。
ただむちゃくちゃなエネルギーでしょ。20世紀後半の共産圏ってものすごい制約があったはずだけど、モスクワでは退廃的かつ享楽的な生活を送り、そのうち何とか話をうまくつけて西側へ渡航している。たぶん会った人が電圧の高さにショックを受ける感じの人なんだと思う。何となく丸め込まれるんですね。少なくともニューヨーク時代までは電圧の高さと承認欲求だけですよ。無名で何も成し遂げていない。キリル・セレブレンニコフ監督はそのむちゃくちゃなエネルギーの根源を「ルサンチマン」と語っています。そうですね、ホアキン・フェニックスのジョーカーも「なぜ彼が悪の扇動者、ジョーカーになったか」の部分を丹念に描きました。こうしてルサンチマンがため込まれていったのだという部分に説得力があったから、例の階段のダンスシーンが輝いた。リモノフは野心に燃えてニューヨークへ渡り、そこで失望を味わう。彼とエレナは「三流作家と三流モデル」でしかなかった。彼は体制に東側でも西側でも自分が労働者でしかないと知る。平たく言うと社会の下積み、みそっかすでしかなかった。
『リモノフ』© Wildside, Chapter 2, Fremantle España, France 3 Cinema, Pathé Films.
ここでちょっと脱線。僕は90年代の初め、まだソ連だった頃のモスクワ、サンクトペテルブルグを旅したことがあります。既にベルリンの壁は崩壊し、ソ連もペレストロイカ、グラスノスチです。東欧がドミノ倒しのように民主化し、共産圏の命運も尽きたかに思われていた。僕が見て歩いたのは断末魔のソ連です。道端で軍服や官給品の毛布等、ミリタリー用品が投げ売りされ、ロシアルーブルは信用を失い、米ドルやタバコのマルボロ(!)が通貨として流通していた。これからどうなるのか不透明で、社会不安が生じ、デマや噂が人々をとらえ、オカルトや筋トレがブームになっていた。オカルトの方はその後、オウム真理教のロシア進出と結びついたりするのですが、僕は若者の筋トレが不気味に見えていた。異様な流行でした。街なかをスキンヘッズのガチガチのマッチョがのし歩いていた。筋トレと武術ですかね。社会不安のなかで自分は強くありたいと熱望したんでしょう。ベルリンのネオナチにも通じる感じだった。『リモノフ』にはあの若者たちはその後どうなったかの答え合わせがあるんです。西側に負け、やがてソ連が消滅する。モスクワにはマクドナルド一号店が出店しました。貧困のなか大混乱に陥った若者の「ルサンチマン」を国家(新興ロシア)が回収していく。
リモノフがシベリアの監獄を出所したとき、英雄として出迎えたのはあのマッチョ軍団でした。リモノフは国家イデオローグとして、彼らを扇動していく。あるいはプリゴジンのような人物が私兵として組織し、訓練を施す。本当に答え合わせなんですよ。この作品は最初と最後にさりげなくソ連&ロシアの領土的野心をコラージュしている。ウクライナ侵攻へなだれ込む意識の流れをエドワルド・リモノフという人を介して見せてくれる。
キリル・セレブレンニコフ監督はロシアを亡命した方ですね。肚がすわっている。テンポ感抜群の映像美です。それからベン・ウィショーの名演ですね。ベン・ウィショーの芝居を見てください。彼がすべてを成立させてますよ。
文:えのきどいちろう
1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido
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