1. CINEMORE(シネモア)
  2. NEWS/特集
  3. 『君と私』、詩のような悲しみ【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.91】
『君と私』、詩のような悲しみ【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.91】

ⓒ2021 Film Young.inc ALL RIGHTS RESERVED

『君と私』、詩のような悲しみ【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.91】

PAGES

  • 1


 ほぼ予備知識なく試写に向かいました。わずかに知ってたのは映画チラシの最初に書いてあるような情報、――本作『君と私』(22)が2014年のセウォル号沈没事件に材をとった作品で、韓国で最も権威ある第45回青龍映画賞で最優秀脚本賞、新人監督賞の二冠に輝いた――ということだけです。セウォル号事件は300人以上の死者・行方不明者が出た韓国史上最悪の海難事故ですね。日本でも大きなニュースとして扱われましたが、韓国では政権を揺るがすほどの社会問題になりました。韓国のドキュメンタリー映画『ダイビング・ベル セウォル号の真実』(14)、『その日、その海』(18)、劇映画『君の誕生日』(19)などがその悲劇を扱っています。


 僕はNHK-BSの『ワールドニュース』を見る習慣があるんですが、あのときは韓国KBSの報道に釘付けでした。済州島へ修学旅行に向かう高校生一行が乗っていたんです。大型船が転覆し、船内に大勢の生徒が取り残されてしまった。最初のうちはケータイで救助を求めてましたね。やがて船が沈没し、船内の酸素がどれだけ残っているのか、脱出の時間的猶予はどのくらいか問題になった。ダイバーが船内から窓を叩き、助けを求める人の映像を撮りましたね。救助のタイムリミット72時間が経過し、絶望的な状況になったときはご家族が珍島の岸壁で泣き叫んでいた。高校2年生の生徒250人、先生11人、ほか市民43人が犠牲になった悲惨な事故でした。


 何ともやりきれなかったのは時間経過とともに、大人たちの利己的な行動が明らかになったことです。船内アナウンスは「その場にとどまれ」だったというのに、船長をはじめ、乗員、操船関係者は我先に救助ボートで脱出していた。しかも、一般乗客を装うために私服に着替えて乗り込んでもいた。船会社の利益優先、安全軽視によって、過積載やバラスト水不足が常態化し、それが遠因となった。事故後になって、次々と不手際、責任逃れ、隠蔽が発覚し、韓国社会に不信の大きな傷あとを残した。つまり、「国民的なトラウマ」というようなものです。大人のエゴが大勢の若者を死なせてしまった。韓国の恥ずべき部分が韓国の未来を殺してしまった。事故から10年以上が経ったけれど、その「国民的なトラウマ」は癒えていないと思います。


 だからこそ『君と私』のチョ・ヒョンチョル監督のまなざしが気になったのです。青龍賞の評価を得た(脚本もチョ・ヨンチョル氏)ということは、多くの共感を勝ち取ったことになります。ざっくばらんに言えば「芯食ってる」映画ですね。さわったら今も血が出そうな生々しく、デリケートな題材で、もしかしたら多くの観客の魂を救うような作品。それはどんなものだろうと思いました。だから本当に映画の予備知識はありません。僕はてっきり船の転覆、沈没シーンも描かれるのだろうと思って試写に向かった。


 そうしたらとんでもなく瑞々しい、詩のような映画だったんです。これはやられた。船舶事故の場面は一切出て来ない。描かれるのは事故の一日前です。セミ(パク・ヘス)とハウン(キム・シウン)という2人の女子高生の日常を描くことで、どれだけその生がかけがえのないものだったかを伝える。セミは奇妙な夢を見るんですね。彼女は同級生のハウンに恋している。それがもうね、泣きたいくらい一生懸命なんですよ。奇妙な夢はこういうものです。修学旅行から帰ったら周りの人が亡くなっていた。ハウンの遺体を見つめるうち、それが自分と思えてきた。目が覚めて私は君になっていた‥。予知夢のような感じです。それが予知夢と呼んでいいものか、あるいは他愛ない恋心の発露なのかはわかりません。ただセミは不吉なものを感じている。ハウンに取りすがって不安な胸のうちを訴えている。



『君と私』ⓒ2021 Film Young.inc ALL RIGHTS RESERVED


 映画の至るところに死の暗喩や、不安定なモチーフがちりばめられている。セミは何度も鏡に映った姿で描かれるけれど、劇中の会話が生き生きとしたイメージなのに対し、鏡像は生気を失って見える。それから忘れられないのはテーブルの端に水の入ったコップが半分はみ出した形で置かれてて、セミとハウンがお構いなしに会話を続けるシーンです。最後はコップを戻すんだけど、シーンの間じゅう落っこちて割れないかハラハラします。まるでこの日常はこわれものですよと言ってるようです。


 セミとハウンの恋心はもちろん同性愛と捉えてもいいし、10代のべったり親密な関係性と取ってもいいと思います。とにかく大好きなんです。最初、セミの恋情が突っ走ってる感じに見えて、ハウンはちょっと鈍感じゃないけど(インフルエンサーを「インフルエンザ」、プライバシーを「プライド」と言い間違える、ちょっとおばちゃんっぽい小ボケかますタイプ?)セミの気持ちには気づかないのかなと思ってました。でも、互いに大切に思っていた。


 『君と私』のせつないところは、自他の境界線があいまいになるくらい好きな人を失うという主題です。どんなに願っても過去には戻れない。セミは修学旅行に出かけていき、足をケガしたハウンは旅行をあきらめる。死者と生者が引き裂かれる様が、詩のように描かれます。船舶事故のパニックシーンはいらない。観客はこんなに壊れやすい、大切なものを失ってしまったんだと思い知るのです。



文:えのきどいちろう

1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido




『君と私』を今すぐ予約する↓





『君と私』

渋谷ホワイトシネクイント他にて全国公開中

配給:パルコ

ⓒ2021 Film Young.inc ALL RIGHTS RESERVED

PAGES

  • 1

この記事をシェア

メールマガジン登録
counter
  1. CINEMORE(シネモア)
  2. NEWS/特集
  3. 『君と私』、詩のような悲しみ【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.91】