© 2022 Riceboy Sleeps Production Inc.
『Riceboy ライスボーイ』、美しくて内省的【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.101】
PAGES
- 1
これはどう言ったらいいのかな、本当に胸の深いところまで届いてくる映画でした。僕は申し訳ないけど、母子ものの「泣ける映画」なのかなぁと思ってたんですよ。冒頭、結婚前に恋人と死別し、未婚の母となったソヨンが韓国に居づらくなって、赤ん坊を連れてカナダへ渡ったいきさつが語られる。時代は1990年代、移住先はバンクーバー郊外です。監督・脚本のアンソニー・シムさん自身が8歳で韓国からカナダで移住した方なんだそうです。つまり、自伝的というのか、個人の経験や記憶に根ざした作品ですね。
タイトルの『Riceboy ライスボーイ』というのは「ごはん野郎」「お米ちゃん」くらいの揶揄の言葉です。シングルマザーのソヨンは懸命に工場で働き、息子ドンヒョンを育てる。ドンヒョンはカルチャーギャップに苛(さいな)まれます。学校のランチタイムでキンパ(韓国海苔巻き)を食べていると、まわりの子から「それ何だ? くさいぞ」とからかわれる。僕の経験ではバンクーバー市街はけっこう東洋系の市民が多いんですけど、ソヨンの勤める工場はだいぶ奥まった田舎にある。だから、少年らはキンパも見たことないし、韓国料理がニンニクを使ってるのもなじみがない。「ライスボーイ」とバカにされるんです。完全な東洋人蔑視、レイシズムです。ドンヒョンは母ソヨンに「他の子と同じようにサンドイッチにしてほしい」とたのむ。
学校の先生はドンヒョンの名前を英語風(?)に変えることを提案する。先生が呼びにくいというのも明らかにあるんですけど、アイデンティティーの偽装というか、同化ですよね。異分子であることを目立たなくする。先生は「デービッド」を薦めます。あぁ、そういうことをするんだなと思ったんですけど、考えたら日帝支配の朝鮮半島では同化政策で日本名を名乗らせたりしてた。胸が痛いですよ、ドンヒョンは家に帰るとソヨンに「ちょっとこのキムチ食べてみて」と味見をして「おいしい」とか言ってるんだけど、学校ではデービッドとして白人の規範に従いサンドイッチを食べるんです。二重基準。二重のアイデンティティー。
で、話題になってるのはこの「ドンヒョン/デービッド」の少年時代の映像が16ミリで撮影されてることです。絵が荒くて、何ともいえない陰影がある。アンソニー・シム監督は遠い記憶を描くためにわざわざ16ミリを選んだそうです。これがね、いじめやレイシズムが映ってたり、母親の苦闘が映ってたりするんだけど、とても詩情がある。ああ、こういうことは事実としてとっくのとうに終わっていて、もはや打ち消せないんだなぁ、これって原体験なんだなぁという感じがする。僕は詳しくないけど、映像のトーン、配色も美しいです。こういうディレクションに神経が行き届いている。

『Riceboy ライスボーイ』© 2022 Riceboy Sleeps Production Inc.
もちろん「ドンヒョン/デービッド」の少年時代は導入パートです。映画『ライスボーイ』の本当の輝きは彼が髪を染め、「デービッド」として北米カルチャーに順応した青年期に始まる。おどおどしていた「ドンヒョン/デービッド」の面影は薄れ、彼は堅牢な「デービッド」としての自分を獲得しているように見える。どこから見てもロコボーイ、地元の子ですよ。例えばNHLバンクーバー・カナックスのホームゲーム、ロジャース・アリーナにいたとしても違和感がない。たぶん青と緑のホッケージャージが似合うと思います。
だけど堅牢に仕上がった「デービッド」は本当の自分じゃないでしょ。それは周囲に合わせるためにかりそめにこしらえた一時避難所のような、「カナダ人としての自分」だったはず。耳の奥に幼い頃、近所の少年らに囃し立てられた「ライスボーイ」という声が残っている。自分は「ライスボーイ」だった。今はカナダ人でもあるけれど、韓国人でもある。なぜかっていえば「ライスボーイ」だから。
僕はこの先のストーリーは書かないことにします。母ソヨンと金髪の「デービッド」はひとつのきっかけがあって、初めて韓国の地を踏む。「デービッド」にとっては「韓国人としての自分」を再発見する旅ですね。それは亡くなった父の面影に触れることでもあるし、母の人生を知ることでもある。
冒頭、母子ものの「泣ける映画」かと思ってたと申し上げたでしょう。僕は泣けなかった。そういう浅い感情の解放じゃないんです。もっと美しくて、内省的な映画。悲しさと郷愁と、絶望と安心感と、何もかもを肯定してくれる(たぶん「デービッド」にとっての)「大きな異質」。また韓国の田舎風景がいいんですよ。とんでもない説得力。僕は試写で泣けなかったけど、『Riceboy ライスボーイ』を見てからずーっと胸の深いところで心震わせています。いい映画を見ました。
文:えのきどいちろう
1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido
『Riceboy ライスボーイ』を今すぐ予約する↓
『Riceboy ライスボーイ』
ヒューマントラストシネマ有楽町、Stranger、渋谷ホワイトシネクイント、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開中
© 2022 Riceboy Sleeps Production Inc.
PAGES
- 1