何かに似せたものは絶対に作りたくなかった
Q:今村夏子の「こちらあみ子」であるとか、テリー・ツワイゴフの『ゴーストワールド』や梶井基次郎の「檸檬」など、監督ご自身が影響を認めている作品がいつくかありますが、決してどれかの真似であるとか、似た作品を作っているわけじゃないですよね? 確かにハル・ハートリーの『シンプルメン』みたいなダンスシーンはありますけど、だからといってハートリーっぽい映画じゃないですし。
山中:もちろん自分のビジョンはありました。最初から「これは既にあるわ」って思ったものはボツにしてきたくらいなので、何かに似せたものは絶対に作りたくなかったんです。オマージュに関しては、やっぱり本当に好きだから『ゴーストワールド』とか『シンプルメン』と言われるのはすごく嬉しいし全然隠す気もないんですけど、だからといってそういうものを作ろうと思っていたわけではない。あくまでもオリジナルのものを作ろうと思っていました。
Q:「すべては模倣であってオリジナルなものなんてない」なんて言葉もあるわけですが、『あみこ』を作る上で、これは自分のオリジナルだと確信できたポイントはなんでしょうか?
山中:完成台本は、後半の東京徘徊をどうするかはまだ具体的ではなかったんですけど、それでも「いける」と思えたのは何でだったんだろう?(笑) でも映画でも音楽でも、自分がいいと思うものはいいっていう自分の感性を信じていて、書いてる時も「いいセリフ書けたなあ」みたいな積み重ねはいっぱいあって、それを素直に受け入れてました。「うわあ、これはひどい」は、すぐ消してすぐ忘れないと引きずっていつまでも撮れないので、自分を褒める積み重ね。シナリオの時点ですごく面白かったから、「これはいいぞ〜、ぴあも絶対に入選する」っていうくらいの気持ちでいたんですよ。ぴあのことは存在を知ったときからずっと出したかったんですよね。二十歳目前のわたしは、映画のことを何も知らないはずなのに、自信ばかりありましたね。
でも撮影現場は本当に予期せぬことがいっぱい起こるんですね。車が壊れたりとか、日はどんどん陰るけれど、明後日には東京に戻らなくてはいけなかったりとか。そういうことで訳が分からなくなったりして、撮りこぼしたシーンもあります。きっとどの現場でもそういうことは必須なんでしょうけど、初めてだったので本当に絶望しきりでした。絶対に繋がらないと思ったから編集もやりたくなくて、でもぴあの〆切は迫っているし、結局、編集は3日間でやったんです。だから完成しても「面白いかわかんない……、ぴあもどうかな……」って思ってましたね。撮る前の方が傑作だと信じてました。
Q:ところがいざ『あみこ』をぴあに出してみたら、観客賞を獲ったわけですよね。その後ベルリン国際映画祭に出品されて、世界中の映画祭を回ることになった。そもそもどうすればベルリンに出品できるんですか?
山中:ベルリンに関しては、フォーラム部門のディレクターがもともと日本の8ミリ作品が好きで、たまたま去年来日していて、ぴあのディレクターに「今年の面白い映画は何?」って訊いたそうなんです。でも英語字幕が付いてないと、解からないじゃないですか。ぴあに入選した時、入選者たちに対して「英語字幕は付けたほうがいいですよ」みたいな説明があったので、付けました。それを彼が見て、気に入って招待してくれたんですね。たぶん字幕が付いてなかったらチャンスもなかったと思いますし、ベルリンで上映されると他の映画祭の人も探しに来てるじゃないですか。そのおかげで続々と海外映画祭での上映が決まりました。
Q:『あみこ』が単なるビギナーズラックじゃないなと思うのは、例えば遊園地で、瑞樹先輩とアオミ君が付き合ってるっていう証拠写真を友だちから見せられるシーンがありますよね。でも画面には、写真そのものじゃなくてスマホに映り込んだあみこの顔だけが映ってる。ああいう瞬間があちこちにあって、手練れの感じすらします。
山中:あのカットは(イメージが)明確にありました。二人の写真をそのまま見せるのは絵としてダサいと思ったし。何かを介してのあみこの顔が良いだろうと思ってました。
Q:今、ダサいと仰いましたけど、その辺の選択はロジカルに決めているわけではなく、ダサい、ダサくないで決める感じなんでしょうか?
山中:あ、そうですね、そこは自分の感覚で。
Q:宣伝スチールにもなってますが、あみこと奏子が廊下を覗く時に、奏子が顔を横から出して、あみこが後ろからスッと出てくる。あれも顔がふたつニョキっと出てくるベタな絵面になりがちじゃないですか?
山中:一個ずつ顔が出てくるのは、コミカル過ぎるし、ダサいなと思ってました(笑)。そういう絵はどこかで見たことがあるし、最初から(あみこは)スッと出てくるのがいいだろうなと思っていたんですが、一応そのニョキニョキと2人の顔が出てくるのもやらせてみたんです。まあダサかったので、「ダサいねえ、違うねえ」って言ってやめました。それについては吉田恵輔監督にも同じことを言われて嬉しかったですね。
Q:借りてきたEOS kissで撮影をされていて、「高画質高クオリティな映像、そんなことはどうでもよかった」とも書かれていますね。でもセンスという意味でこだわりがないとは思えない。撮りながらも「いける!」っていう判断はどこかでしているわけですよね?
山中:手ごたえ、みたいなことですよね。それはありますね。いや、嘘です。ないですね。撮ってる最中はひとつひとつの選択が正解なのか常に分からなかったです。撮影に入る前は(頭の中で)完璧に出来上がっていて何もかもが判っていたつもりになっていたんですよ、そこから先は「現実はそうもいかないよ」みたいなことばっかりで、どんどん落ちていく作業ですよね(笑)。EOS kissは一般的には映画を撮るカメラではないし、カメラマンも「これで撮るの!? まあ、いいか。。」という感じでしたけど、画質は悪くないですよね。
わたしもカメラを回したんですが、カメラマンのスケジュールが合わない日は私しかいなかったからしょうがなく撮ったという感じで。ISO感度とかも当時はまったくわからなくて、結構白飛びしていたり暗かったりしてるんですよね。その辺は防げたことだったので、ちゃんとしたかったですね。現場では「大丈夫でしょ、見えるから大丈夫」とか言ってたんですけど。ベルリンの映画祭で、800人くらいのキャパシティの劇場のとんでもなくでかいスクリーンで観た時はちょっと頭抱えました。
Q:多くの人は、そういう失敗を繰り返して、墓場まで持っていきたいくらい恥ずかしい失敗作のストックを抱えながら、ステップアップしていくんじゃないか思うんです。でも『あみこ』は、ちゃんと思い描いたことを形にできていたわけですよね?
山中:どうパッケージするかっていう面では、また違う感じになってしまったとは思いますけど、熱量で言えば、狙っていたエネルギッシュな感じは形に出来ていると思います。ちゃんと完成したのは、まあ、志の高さじゃないですか? とはいえ、とにかく無知だったので、例えば映画ってタイトルを入れなきゃいけないのかどうかもわからなかったんです。タイトルインって必須なんですよね? 脚本にはタイトルインがなかったんですよ。もうすぐ編集終わるぞっていう時に、手伝ってもらっていた子にタイトルはどこに入れるのかと訊かれて「普通入れなくちゃいけないの?」ってなって。でも確かに家にあったDVDを観たら全部入ってる(笑)。すぐにマッキーのペンで書いて、即席でタイトルを作ったんです。結果そのままポスターにまで使ってますが。
Q:その即席のタイトルと曲のおかげで、作品にポップなリズム感が出てますよね。
山中:そうですね。編集段階でどんどん見えてきたっていうのは大きいと思います。やっぱりビギナーズラックですかね?(笑)
Q:いいえ、違います。ビギナーズラックじゃないことは『あみこ』を3回観て確信してますんで(笑)。
山中:でもやっぱり、ぴあに入選するような監督って、大体みんな圧倒的に映画を観てるんですよね。あらゆる映画を。だから、古今東西の映画をたくさん観るっていうのは絶対力になると思ってます。いろんな映画を観続けるってことは、当然なのではないかと思います。そうすることで自分のこともなんとなく見えてきますしね。他人のことはどうしても分からないことだらけだけれど、だからせめて自身を見ようとするべきだと思います。自分は何を気持ち良く感じて何から目を背けたいのか、とか。大変なことだけど、考えます。