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『バックルームズ』、リミナルスペースの誘惑【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.112】
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話題になってるだけあって、試写会もぎゅうぎゅうでしたね。不思議な感覚の恐怖映画です。インターネット発の都市伝説をもとに制作され、封切られるや若い世代を中心に熱狂的な支持を集めている作品ですね。まぁ、都市伝説っていう言い方がピンと来なければ、「ミーム」です。口伝のようにネットを介し人から人へ(中身はその都度、改変され、誇張され、やがて定型化しながら)拡散される画像やストーリーのような「イメージの束」。世界じゅうに拡散されて、共有されるくらいですからいいセン突いてるんですよ。多くの人が、ああ、そういうのはありそうだなと思っている。その感覚はわかるなと思っている。
ただ『バックルームズ』(26)はホラームービーじゃないんですよ。悪霊やブギーマンが出てくるわけじゃない。主人公は大型家具店のオーナー、クラーク(キウェテル・イジョフォー)です。テレビCMを打ったりしてるんですが、ぜんぜん流行ってない。もしかして流行ってたらお客さんの応対に忙しく、気づいてなかった気もするんですけど、ある日、偶然のきっかけで壁を押すと向こうに抜けられる(!)ことを発見するんですね。これは隠し部屋とか人為的な何かじゃありません。手が壁の向こうへ行ってしまう。思い切って身体ごと壁を抜けると、その向こうに別の部屋あった。部屋はどうもずっと続いてる風なんです。壁の向こうの世界。バックルームズです。それからクラークは壁の向こうに憑りつかれていく。
探検みたいな感じだと思うんです。壁の向こうに行って歩き回って帰ってくる。壁の向こうは黄色い壁紙の世界で、迷路のように奥へひろがっている。人の気配はありません。断片的に奇妙なアナウンスが聴こえてくるけど、それが何なのかはわからない。この映画は説明がないんですよ。文脈や意味がない。例えばクラークの家具屋の壁がフランス革命のパリに繋がっていたら「異世界もの」ですよね。壁抜けのメカニズムは明かされないとしても、(文脈や意味があるから)クラークは異世界のルールに従って行動すればいい。閉塞感の感じが似ている『8番出口』(25)も奇怪なシチュエーションながらルールがありましたね。注意深く「異変」を見落とさなければ、案内表示の出口番号は1つずつ増えていって、やがて「8番出口」に到達する。むちゃくちゃであっても理路がありました。
ところが『バックルームズ』には理路も何もない。「リミナルスペース」って概念があって、これは超現実空間みたいなことですね。元々はインターネットカルチャーの産物で、「リミナリティ」(敷居、境界)があいまいになった不気味で空虚な場を指します。一見すると脅威になるもの、異変であるようなものは特に見当たらない。むしろ何の変哲もない「現実と数珠つなぎの場所」に思える。だけど、何かが変なんです。部屋はあっても誰もそこにいない。通路はあっても誰も通る人がいない。違和感が嵩じて徐々に恐怖に変容していく。いや、「リミナリティ」(敷居、境界)に踏み込んで変容してってるのは自分自身なのかもしれない。

『バックルームズ』© 2026 Backrooms Rights LLC, PC Films, LLC. All Rights Reserved.
自分の部屋だったり、家みたいなスペースはそのまま自我の大きさってところがありますね。自分が把握してる空間、馴じんでる場所、いつもの居場所。そこに自分の知らないバックルームがあったらどうします? それが遠く奥の奥まで続いているようなら、「これが自分」だと思ってる大きさや形がぐにゃりと変容してしまう感じがありますね?
あるいは見知ってる場所が見知ってる場所じゃなくなる感覚です。僕がパッと連想するのはコロナ禍のとき、パリの目抜き通りやニューヨークのタイムズスクエアや、京都の清水坂なんかに人っ子ひとりいなくて、シーンと静まり返っていた光景です。そんな光景、生涯で一度も見たことなかった。「観光旅行するなら今だ」みたいな書き込みをしてる人もいたんだけど、一瞬は同意しても、実際そこに立ったら狂ってしまうんじゃないかというような恐怖感。地球最後の日か、自分の正気を保つかぎり強いられる永遠の孤独か。これも違和感が嵩じて恐怖に変容していくパターンですね。
大型家具店のバックルームズにはもう一人、クラークのカウンセリングを担当している精神科医、メアリー(レナーテ・レインスヴェ)が没入していくんですけど、やっぱり魅入られてしまう。みんなそんなわけのわからない空間に閉じ込められるのは嫌だと思いつつ、どこかでこの世から消失したいと願っているのかもしれません。あと、これは僕だけかもしれないんですけど、RPGやダンジョンもののゲームで、もうラスボスを倒すだけってところまでストーリーを進めて、いっこうにラスボスのところへは行かず、ゲームの無駄なスペースをたゆたって、もう勝てるとわかってる相手とばかり当たって、目的もなくヒマつぶしを続けるようなことってありませんか? その仮想スペースに馴じんでしまって、もう出たくない。ああいう魅入られ方もあるなぁと思います。
クラークとメアリーは「バックルームズ」で何を見て、どう変容し、あるいはどう自分を保っていったのか、それはここでは申しません。映画館を出るとき、むちゃくちゃ不思議な感覚にとらわれると思いますよ。あ、そうそう、僕は「もし、自分の部屋にバックルームがあったらどうする?」にはもう一発回答です。家じゅう本が増えすぎて床が抜けそうなんですよ。本は全部バックルームに移して、部屋をすっきり使いますよ。日本の不動産事情から言うと、みんな助かるんじゃないかなぁ。
文:えのきどいちろう
1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido
『バックルームズ』
配給:ハピネットファントム・スタジオ
TOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開中
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