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『プーチンの愛国教室』、後戻りできない恐怖【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.114】

© 2025 made in copenhagen Aps, Pink Productions s.r.o.

『プーチンの愛国教室』、後戻りできない恐怖【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.114】

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 第98回米アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞したとても優れた作品です。日本ではTV版がNHK BS「世界のドキュメンタリー」枠で『名もなき反逆者 ロシア 愛国教育の現場で』(前・後編)として放送され、確かアカデミー賞を取った後にアンコール放送されたと思います。僕はその「世界のドキュメンタリー」で最初に見て、衝撃を受けたんですよ。人にもけっこう薦めたけど、「世界のドキュメンタリー」って食いつきが悪いんですよね。固定ファンも数多くいるんだけど、「夜、仕事から帰って外国の悲惨な現実になんて触れたくない」って向きも多い。あと再放送を見つけにくいっていうのもありますね。だから本作が『プーチンの愛国教室』(25)として映画館で封切られるのは大歓迎です。誰でも自分のタイミングでご覧いただけます。薦め甲斐ってものがあります。


 ただ「米アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞」と思って、あんまり構えないで見てほしいんですね。これね、ものすごくユニークなドキュメンタリー映画なんですよ。フツーのドキュメンタリーって何かことが起きてから撮影が始まるでしょ。戦争が起きたり公害が発生したり、まぁ、何か社会問題になるようなことが起きて、そこにカメラが向けられていく。このドキュメンタリーは「何も起きてない」状態から始まるんです。


 ロシア辺境、チェリャビンスク州カラバシュの学校が舞台です。銅の採掘で知られたこの町は環境汚染によって「世界でもっとも汚染された町」という不名誉な異名を与えられている。ただ町の人々はいたって穏やかで、学校も和気あいあいの雰囲気なんですね。映画の監督さんの一人はパヴェル・タランキンさんという人なんですが、この人は何かというと学校行事のビデオ撮影係の先生なんです。「何も起きてない」状態から撮影が始まっている、というのはそういうことです。小さな町の小さな学校(小・中学校が一緒になってるような学制のようです)の、微笑ましい生徒たちの日常を撮影している。ただ単にそうしていたはずのタランキンさんがいつの間にか国家に目をつけられ国外へ脱出せざるを得なくなるんですね。



『プーチンの愛国教室』© 2025 made in copenhagen Aps, Pink Productions s.r.o.


 それは何故か。2022年2月、ロシアがウクライナへの軍事侵攻を始めたからです。まぁ、ロシアの侵攻はもっと以前から始まっていたという言い方もできるんですけど、2022年2月は大きなエポックでしたね。世界じゅうがミサイル攻撃されるウクライナの都市の惨状を目撃した。ロシア国内は戦時体制に入っていくんですね。学校の空気も変わっていきます。学校行事のビデオ係、タランキンさんのカメラにその変化が映ります。それはまさに『プーチンの愛国教室』の名の通りです。朝礼、整列、行進の練習。最初は先生方も生徒も表面的に従ってる風なんです。タランキンさんは自分のオフィスを開放して生徒たちとおしゃべりする人気者でしたから、その本音や素顔の部分がわかる。みんな「上」からの命令を渋々受け入れていく感じですね。


 その空気が固定化していく。もはや学校は「将来の兵士を育成する場」として期待され、また機能していく。愛国プロパガンダの授業をする歴史教師が登場するんですが、もう嬉々として、我が世の春といった様子です。そのうちに傭兵組織ワグネル(「プーチンの私兵」とも呼ばれた民間軍事会社)から「教師」が送り込まれます。ビデオ係のタランキンさんは悩む。一体、学校はどうなるのか。愛すべき子どもたちはどうなってしまうのか。


 僕ら日本人は戦前の「愛国教育」について多少なりとも知っていますね。どんどん巻き込まれて、あるいはお先棒を担いだあげく、後戻りできなくなっていく。それで「小国民」として竹槍訓練にいそしんだ世代が、戦後、教科書の墨塗りを経験し、教師の言うことがコロッと変わったときの不信感を小説や映画に残している。たぶん当時だって(嬉々としてプロパガンダ教育に邁進する教師がいた一方で)タランキンさんみたいに悩んだ人もいたでしょう。


 タランキンさんは次第に危険人物としてマークされるようになります。学校や町の様子を記録しているカメラが次第に警戒されるんですね。そこからのタランキンさんの葛藤が見どころなんですが、それはご覧になってください。最後、彼がスピーチをするくだりがあるんですが、もう泣けて泣けてしょうがなかった。タランキンさんはただ誠実なだけで、反政府活動をするようなタイプじゃないんですが、結果的に彼のドキュメンタリーはロシア政府にとって大変厄介なものになりました。


 これを「ロシアの教育現場の今がわかる傑作」という風に、情報として捉えてもいいと思うんですが(そして、たぶんそれが本道なんでしょうが)、僕のように「人間集団の空気が少しずつ変わっていき、後戻りできなくなる」恐怖を描いた心理劇と見るのも有りなんだと思います。日本で今、公開される意義はとても大きいんじゃないでしょうか。



文:えのきどいちろう

1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido



『プーチンの愛国教室』

10月3日(土)シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開

配給:トランスフォーマー

© 2025 made in copenhagen Aps, Pink Productions s.r.o.

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