©2026 「見上げてごらん」製作委員会
『見上げてごらん』、マンガの現場のリアル【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.116】
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うわ、もう何か身につまされるようなリアルさなんだよなぁ。『見上げてごらん』(26)は物語を見るというより、練り込んで、細部まで意をこらした「マンガ家アシスタントの世界」という場を見せる映画なのかなぁと思います。場という言い方がわかりにくければ「小宇宙」とか「小世界」と呼んでもいい。イメージを言うとスノードームってありますね。パリのエッフェル塔だとか観光地で売ってるガラス球のなかにミニチュアの塔が立っていて、振ると雪がふわっと舞う。ああいう感じです。よくできていて、いつまでも見飽きない小さな世界。それがむちゃくちゃリアルなんです。僕は長いこと雑誌畑で生きてきて、編集プロダクションに身を置いたこともあるし、マンガの現場も多少は知っている。なかなかすごいですよ、『見上げてごらん』が見せてくれるもの。
舞台は吉住プロというマンガの現場です。巨匠・吉住はるを(武田鉄矢)は17年続いた人気作『八郎 MEN』の完結を間近に控えている。マンガって版下を自分で作る、極端な人力なんですよ。元は真っ白い紙なのにそこに森羅万象が封じ込まれる。締切から締切へ、しびれるような綱渡りが続く。毎回、火事場の馬鹿力のような、あり得ない熱量が放射される。でも、絵入れの作業はアシスタントが手分けして淡々と進めるから、AMラジオがかけっぱなしになってたりしてひどく日常的な感じもある。主人公の土屋輝一は20年近くアシスタントを続けるベテランです。吉住プロの主のような存在。かつてはマンガ家を夢見たけれど、アシスタントとして安定した暮らしを続けるうち、その夢はどこかへ行ってしまった。変に自分の作品で打って出て、売れずに路頭に迷うより、人気マンガ家のアシスタントでいた方が食べていける世界です。土屋は気がつくと42歳になっている。
この古株アシスタント、土屋輝一を演じているのが森田剛なんですね。舞台でも映画でも刮目すべき仕事を続けている森田剛が本作『見上げてごらん』ではマンガの現場という小宇宙の核になっている。どうしてこんなに、と思うくらいハマッていて存在感があります。演技力とか芝居が上手いとかいう以前に、「ここにこの人、いるなぁ」って思うんですよ。結局は演技力なんだろうけど、そういうのを感じさせない。ずっぽりそこにハマり込んでる。

『見上げてごらん』©2026 「見上げてごらん」製作委員会
「気がつくと42歳」「アシ歴20年近く」ってことは90年代にマンガを志し、日本経済が低迷するゼロ年代、10年代を吉住プロの蛍光灯の下で暮らしてきたことになります。マンガ雑誌がいちばん景気良かった頃の残照も知ってるし、地盤沈下しつつ、地盤沈下しているからこそ人気作が切られず延命していく構造も知っている。マンガをめぐる出版状況も同人誌やWeb発のエッセイマンガや体験記マンガ、あるいはBLものが一定の支持を集め、それを出版社が後追いするよう変化していく。作中、土屋が他人のマンガを(ちゃんと見もしないで)「所詮素人だな」とか「こんなの描くんだったら、一生アシスタントでいいわ」とうそぶくシーンがあるんですけど、これは土屋の内面(嫉妬やこじらせ)を伝えると同時にマンガ界の構造変化をも表現している。土屋にとってのマンガはそんなもんじゃないんです。
この映画にもう一人、主人公がいるとしたらマンガ編集者の潮田ユキ(森川葵)ですね。彼女は巨匠・吉住はるをの担当を引き継いで、『八郎 MEN』完結という大仕事にタッチするわけですが、いまいち自分の仕事に自信が持てないでいる。吉住はるをのような大物は大体そうですが、周囲の者を巻き込んでしまう。たぶん「才能」というものの正体はそういうものでしょう。周囲は吉住の引力にひきずられ、彼のペースで暮らしていくことになります。吉住プロの時間感覚は「締切から締切へ」ですから、そこで自足するうち、見失ってしまうものがある。
映画のなかでアシスタント土屋輝一は「土屋さんは何が描きたいんすか?」、編集者潮田ユキは「お前は何がやりたいのか?」と問われるんですね。これはきっつい問いです。本当は何がやりたいのか。巨匠・吉住のような実力者は「何がやりたいのか?」の前に、もうやっちゃってるんです。そんなこと自分に問わない。もう描いている。描けない、やりたいことがわからない者だけにそのきっつい問いがある。
これは「夢」についての映画なんだと思います。「夢」の終わりや、終われないでだらだら続いている日々や、新しく何かを始める瞬間のときめきを、本当に優しく見つめた映画です。その小宇宙、小世界を構成する人々の感情、熱、心の揺れ、震えをすーっとすくい上げた作品です。むちゃくちゃリアルです。ぜひご覧ください。
文:えのきどいちろう
1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido
『見上げてごらん』
テアトル新宿他全国順次ロードショー中
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