風景よりも人間の感情を大切にした演出
Q:音楽の使い方も印象的で、ヴィレッジ・ピープルの「Y.M.C.A.」やフィンツィ・コンティーニの「CHA CHA CHA」、さらにサリー・イップのナンバーなど、有名な曲がうまく使われていきますね。
ジャンクー:あえて誰もが知っている曲を使いました。ドラマが描かれる時代にディスコなどで流れていた曲です。中国ではものすごく流行る曲が、年に1、2曲あるので、こうした曲を使うことで時代の感覚をうまく出せると思いました。
Q:映像に関していえば、これまで撮影監督のユー・リクウァイが力を発揮していましたが、今回はフランス人の撮影監督、エリック・ゴーティエの起用ですね。過去に『モーターサイクル・ダイアリーズ』(04、ウォルター・サレス監督)なども手掛けていますが、彼の参加で変わったことがありますか?
ジャンクー:確かに撮影監督はいつもと違いますが、それによって映像のタッチがすごく変わったところはないと思います。エリックもすごく優秀なカメラマンですから。それにフランス人なのに中国のさまざまなことを理解しています。最初は通訳を使って仕事をしていたのですが、やがては簡単な英語で直接やりとりをしながら、撮影を進めました。また、部分的には昔の映画のために撮った古い映像もミックスしていて、そうすることで不思議な感覚も出ていると思います。
Q:『長江哀歌』などでは変わりゆく山峡ダムの映像にインパクトがあり、ある風景の中で生きる人々に焦点があてられていました。でも、今回の映画ではもっと人間が前面に出ていますね。
ジャンクー:『長江哀歌』と『帰れない二人』には、どちらも山峡ダムが出てきますが、この2作には大きな違いがあります。前者ではダムの建設で次々に家が壊され、人々が移動していくところを撮影しました。空間を大きくとり、その中で小さな人間が生きているところを描いたので、完全に空間の方が主役になりました。
今回は人々の感情を演出することが大切だと思いました。たとえば、小津安二郎監督の映画では伝統的な家庭が壊れつつあるところが描かれていきます。私自身は壊れゆく中国に生きる人々の心を動きを見つめたいのです。主人公たちの気持ちの通い合いや心の揺れを俳優の表情やセリフなどを通じて表現したい。そう考えて撮ることでこの新作が完成したのです。
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監督・脚本:ジャ・ジャンクー(賈樟柯 JIA Zhangke)
1970年5月24日生まれ、中国山西省・汾陽(フェンヤン)出身。18歳の時に山西省の省都・太原(タイユェン)の芸術大学に入り、油絵を専攻しながら、小説を執筆し始める。この頃、『黄色い大地』(84/チェン・カイコー監督)を観て映画に興味を持ち、93年に北京電影学院文学系(文学部)に入学。在学中の95年にインディペンデント映画製作グループを組織し、55分のビデオ作品「小山の帰郷」を監督、香港インディペンデント短編映画賞金賞を受賞。この時、グランプリを受賞したのがユー・リクウァイの「ネオンの女神たち」。この出会いを通じて、『一瞬の夢』以降、ほぼすべての作品の撮影をユー・リクウァイが手掛けることとなる。97年に北京電影学院の卒業制作として、初長編映画『一瞬の夢』を監督、98年ベルリン国際映画祭フォーラム部門でワールドプレミア上映され、ヴォルフガング・シュタウテ賞(最優秀新人監督賞)を受賞したほか、プサン国際映画祭、バンクーバー国際映画祭、ナント三大陸映画祭でグランプリを獲得、国際的に大きな注目を集めた。06年、三峡ダム建設により水没する古都・奉節(フォンジェ)を舞台にした『長江哀歌』がヴェネチア国際映画祭コンペティション部門でサプライズ上映され、金獅子賞(グランプリ)を獲得。15年、フランス監督協会が主催する「黄金の馬車賞」を受賞。18年10月、福岡アジア文化賞大賞を受賞。本作『帰れない二人』は5度目のカンヌ国際映画祭コンペティション部門正式出品作品。中国人監督でカンヌのコンペに5作品出品されているのはチェン・カイコー監督とジャ・ジャンクーのみ。いま最も、パルムドールに近い映画監督といっても過言ではない。
取材・文: 大森さわこ
映画ジャーナリスト。著書に「ロスト・シネマ」(河出書房新社)他、訳書に「ウディ」(D・エヴァニアー著、キネマ旬報社)他。雑誌は「週刊女性」、「ミュージック・マガジン」、「キネマ旬報」等に寄稿。ウエブ連載をもとにした取材本、「 ミニシアター再訪」も刊行予定。
『帰れない二人』
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