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『小さな恋のメロディ』は、なぜ日本を中心に愛され続けてきたのか

© Photofest / Getty Images

『小さな恋のメロディ』は、なぜ日本を中心に愛され続けてきたのか

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音楽と映画の新たな方向性と、その影響力



 なぜ、ここまで『小さな恋のメロディ』が日本で人気を得たのか。1971年は、日本の芸能界でも転機があり、南沙織、小柳ルミ子、天地真理がデビューし(小柳ルミ子は歌手デビューが1971年、前年の1970年では女優デビュー)、現在に至るアイドル文化のルーツが生まれたと言っていい。この年、沢田研二もソロデビューしており、公開オーディション番組の「スター誕生!」が始まった。映画の世界にも「アイドル」が求められ、『小さな恋のメロディ』のキャストがピタリとハマったと考えられる。


 11歳の二人が結婚するという、当時の日本では考えられない設定が、欧米文化への憧れと重なったなど、その他にも人気の要因は挙げられるが、何よりこの『小さな恋のメロディ』が稀有な魅力を放ったのは、その4年前、サイモン&ガーファンクルの曲を使った『卒業』の流れを受け継ぎ、さらに進化させるスタイルで、音楽と映像の新たな可能性を切り開いたからだろう。もちろんそれまでミュージカル映画をはじめ、音楽が効果的に使われた作品は数多かったが、『小さな恋のメロディ』では、キーポイントの場面でビージーズやCSN&Y(クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング)の曲が使われるが、そこだけがまるでミュージックビデオのような効果を発揮している。50年近くを経て改めて観直しても、まったくその魅力は色褪せていない。「メロディ・フェア」「若葉のころ」は映画以前の1969年にすでに発表されていた曲だが、歌詞も含め、映像とあまりにマッチしており、驚くばかりだ。



『小さな恋のメロディ』© Photofest / Getty Images


 そうした音楽の魅力もあってか、『小さな恋のメロディ』は日本のミュージシャンにも大きな影響を与え、BLANKEY JET CITYや筋肉少女帯は、それぞれ「小さな恋のメロディ」という“まんま”のタイトルの曲で映画への愛を捧げ、斉藤和義は複数の曲で『小さな恋のメロディ』をモチーフに使ったりしている。ビージーズは1977年に『サタデー・ナイト・フィーバー』のサウンドトラックを手がけ、爆発的ブームを起こすのだが、『小さな恋のメロディ』で彼らの曲と映画の美しいケミストリーはすでに起こっていた。


『小さな恋のメロディ』のサントラがCDで発売されたのは日本のみだったりと、日本での熱狂は際立っているが、では日本以外にファンを増やした国はないのか? じつは数多く存在する。昨年(2017年)、東京コミコンで来日したマーク・レスターに聞いたところ、「ベネズエラやアルゼンチンといったラテンアメリカの国々、そしてアジアではフィリピンやシンガポールでも人気で、ファンのコミュニティが作られた」と、思わぬ国の反響を打ち明けた。たしかにメキシコ人監督のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥは「子供時代に観て、多大な影響を与えられた作品」と語っているし、『犬ヶ島』(2018)のウェス・アンダーソンも『小さな恋のメロディ』のファンであると公言している。




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