『ソフィア・コッポラの椿姫』ノーラン作品の常連、美術監督ネイサン・クロウリーが舞台にもたらした芸術性

『ソフィア・コッポラの椿姫』ノーラン作品の常連、美術監督ネイサン・クロウリーが舞台にもたらした芸術性

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瞬時に観客の心をつかむ「巨大な階段」



 ソフィア・コッポラが初のオペラ演出を手がけた「椿姫」は、その緞帳が上がると暗闇の中から青白い照明に照らされ、うっすらと「巨大な階段」が浮かび上がってくる。物悲しく荘厳な響きを持つ前奏曲に合わせて、この階段をゆっくりと降りゆくヒロイン、ヴィオレッタ。彼女がじっくりと一段一段を踏みしめる姿は、その黒色のドレスの美しい陰影も相まって観客の心に深い印象を与えてやまない。そこでいざ、オーケストラの音が高鳴ると、ステージの雰囲気は一転。邸宅のすべての窓が一斉に開け放たれ、そこから入場してきた招待客を交えての社交界が華々しく幕をあけるのである。


 このようにソフィアが仕掛ける「椿姫」の出だしは、その芸術性においても、物語の語り口の面でも観客の心を瞬時に引き込む魅力に溢れている。そして何よりも重要な役割を果たすのが、この象徴的な「階段」を始めとする舞台美術の存在だ。これらを手がけたのは美術監督のネイサン・クロウリー。数々のクリストファー・ノーラン監督作で名をはせる凄腕である。


作品ごとに驚きの芸術性をもたらすクロウリー



 思い返すと、ソフィアの『マリー・アントワネット』がアカデミー賞で衣装デザイン賞のオスカーに輝いた’06年、ネイサン・クロウリーもまた『プレステージ』で美術賞にノミネートされ一躍注目を集める存在となった。その後も『ダークナイト』、『インターステラー』で同部門にノミネート。今や妥協なきプロダクション・デザイナーとしてハリウッドで知らないものがいないほどの傑出した人物と言える。


 ここ最近では、クリストファー・ノーラン監督作『ダンケルク』でもクロウリーに脚光が当たった。ノーランといえば、とことん実写の映像にこだわる人。『ダンケルク』でも早々に「ブルー・スクリーンを背景にした撮影はしない。どのシーンにも適切な位置に本物の海、本物の空、自然光のある状態で撮影したい」という構想をぶち上げ、スタッフはそんな彼のビジョンを具現化するにあたって大いに奔走した。




 とりわけノーランとの付き合いの長いクロウリーは、実際の歴史的出来事が起きた場所での撮影を敢行すべく、荒れた海に面するところに’40年当時の防波堤を丸ごとそのまま再現。そこに大勢の兵士たちが我先に前に進もうと押し寄せる驚異的な密度のシークエンスを創出するのに貢献した。さらに大型船の停泊できない海に向けてトラックをつなげた桟橋を築いたり、他にも船舶や戦闘機内のリアリティを綿密に再現するなど、クリエイティブ・チームと共に様々な無謀な取り組みを繰り広げてきた。


 このような無理難題にすかさず適切な答えが出せるのも、彼が創造性あふれる感覚のみならず、建築に関する深い経験と知識を持ち合わせているから。さらには一切ジャンルに関わらず、歴史モノからSFまで自由にイマジネーションの羽根を際限なく広げることができ、どんな作品にでもクロウリーならではの重厚感をもたらすことが可能だ。


 そんなクロウリーと長年の友人関係にあったというソフィア・コッポラ。今回、ファッション・デザイナーのヴァレンティノ・ガラヴァーニから直々に指名を受けた彼女は、この初オペラという挑戦を共に受けて立つ仲間として「クロウリーならば舞台スペースを有意義に使った画期的なアイディアを創出してくれるはず」と確信し、自らの責任と判断で彼に打診することを決めたという。ちなみにクロウリーにとってもオペラの美術監督を務めるのは初めての体験である。


 結果から言って、ソフィアの判断は大いに正しかったとみていい。普段からオペラを十分に見慣れている人にとっても、本作はその冒頭シーンからかなりの肝入りの作品であることが瞬時に伝わり、大いに期待が高まるはず。さらに普段オペラなどあまり観ないという人でも、これまでクロウリーの手がけた映画作品の文脈、あるいはソフィアとの初コラボという意味合いにおいて極めて興味深い仕事ぶりを堪能できるはずだ。


舞台美術が「椿姫」にもたらした、時空、感情、そして窓



 というわけで、今一度クロウリーのことを意識しながら「椿姫」の舞台に戻ろう。まず<第一幕>で、私たちは前述した「巨大な階段」の洗礼を受けるわけだが、舞台上のこれだけのスペースを占めるこの階段を昇降するのは、ヒロインのヴィオレッタただ一人。まるで時空を超越した“記憶の通り道”のようでもあり、または彼女の心情が余すことなく吐露される“独白の場”と受け取ることも可能だろう。そして舞台を照明で明るく照らすだけでなく、その隅々に臆せず“暗闇”の色彩を取り入れることで、ヴィオレッタが着こなすドレスの立体感や髪に止めた花飾りのレッドを浮かび上がらせる効果も発揮している。




 また、<第二幕>はその豪華絢爛たるパリの社交界から遠く離れ、ハッとするほど長閑な別荘地へと場所を移す。舞台の大部分を占める「窓」からは田園風景が見渡せ、自然や植物との距離感も近く、人間ヴィオレッタの嘘偽りのない愛に満ちた暮らしぶりがうかがえる。


 だが、ここに一人の訪問者が加わることで運命は大きく流転。その人物は、ヴィオレッタに対して恋人アルフレードとの別離を迫るのだが、二人のやりとりが激しくなるにつれ、窓の外には気付かぬうちに雲が立ち込め、これまでの真っ青で覆い隠すものが何もなかった状態を徐々に侵食していくのである。


 言うまでもなくソフィア・コッポラ作品において「窓」は重要な心の鏡を意味する。『マリー・アントワネット』ではヴェルサイユに押し寄せる民衆の怒りが窓に映る赤い炎の色で表現され、ラストシーンでは馬車の車窓が延々と映し出されたのも印象的だった。また、『ロスト・イン・トランスレーション』では新宿のパークハイアットの窓から望む東京の街並みが、異国でひとりぼっちの外国人の孤独な思いを叙情的に代弁していたものだった。


 この<第二幕>においても、ソフィアの作家性を具現化する上で、クロウリーは「窓」を最大限活用してみせる。感情のもつれとともに徐々に雲の厚みも増す。だが、いつしかヴィオレッタの中に一つの決意と使命感が芽生えると、今度は窓を覆っていた雲間から夕暮れ時の陽光が射し始める。この幻想的ながらも明確なビジョンに満ちた舞台演出によって、私たちは舞台における時間と感情の流れを、一つの絵巻物のようにして受け止めることができるのだ。


 最後の<第三幕>では、ヴィオレッタが死を待つ寝室がステージいっぱいに広がっている。中央には彼女が横たわるベッドが置かれ、それ以外には方々に、ほとんど照明の当たらない深い闇が広がっている様に、多くの観客が驚かされることだろう。同じくクロウリーが美術を手がけた『ダークナイト』を彷彿するほど、まさにその色彩は“ダーク”としか形容しようがないもの。ただし、枕元にはやはり「窓」がある。その大きさは序盤に比べると圧倒的に小さくなってはいるものの、しかしそこから入り込んでくる光や闇、明かりなどが彼女と世界をつなぐ最後の細い糸であることが伺え、どうしようもなく胸が締め付けられる。社交界の“動”のシーンとは対照的ではあるものの、この“静”のシーンにも様々な美術を通じて精神的な厚みをもたらすクロウリーの仕事ぶりはさすがだ。


 このようにして舞台の隅々にまでいかんなく意匠が発揮されたこのネイサン・クロウリーのオペラデビュー作「椿姫」。彼は映画で培ってきた感性を大いに活かしながら、あくまでオペラの常識をはみ出さないレベルで最大限の冒険を繰り広げてみせた。これから本作をご覧になる方は是非その名前を頭の片隅に置きつつ、あたかも『インソムニア』や『インターステラー』の白のイメージと『ダークナイト』シリーズの黒のイメージが融合したかのような“夢のひとしずく”を心ゆくまで堪能してほしい。きっと映画とオペラの垣根を取り払った新たな感動が得られるはずだ。


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10月6日(金)、TOHOシネマズ日本橋にて2週間限定公開 ほか全国順次公開中

配給:東北新社

Photo©Yasuko Kageyama

公式サイト: http://sofia-tsubaki.jp/

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