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『大人のためのグリム童話 手をなくした少女』新たなるアニメの手法“クリプトキノグラフィー”を使って監督が描きたかったものとは

© Les Films Sauvages – 2016

『大人のためのグリム童話 手をなくした少女』新たなるアニメの手法“クリプトキノグラフィー”を使って監督が描きたかったものとは

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自由奔放に暴れまわるアニメならではの可能性



 実は“クリプトキノグラフィー”に似た省略表現は、日本の観客にとっても決して珍しいものではない。高畑勲監督の『かぐや姫の物語』(2013)ではミニマムに研ぎ澄まされた抽象表現の豊かさに驚かされたし、『ニンジャバットマン』(2018)でも極端に絵柄が変わり、手描きのテイストを貫き通すシーンがあった。極端にデフォルメしているという点ではフランスの『ベルヴィル・ランデヴー』(2003)という先達があり、キャラクターデザインで比べれば『手をなくした少女』の方がはるかにリアリズムに寄っているとさえいえる。



『大人のためのグリム童話 手をなくした少女』© Les Films Sauvages – 2016


 アニメーションは決してリアリズムを志向する必要はない。「絵」だからこそできる表現を探求してしかるべきで、多くの短編作品ではさまざまな冒険が試されるケースが多い。だとすれば、同じような自由や奔放さは、長編アニメーションでも成り立つのではないのか? 『手をなくした少女』は、ローデンバック監督が「アニメはどこまで自由になれるのか」という戦いを挑んでいるようにも見える。



『大人のためのグリム童話 手をなくした少女』© Les Films Sauvages – 2016


 『手をなくした少女』の公式サイトに掲載されている土居伸彰氏のエッセイによると、ローデンバック監督は、世界が「自由なアニメ表現」に目覚めた源流的な作品として湯浅政明監督の『 マインド・ゲーム』(2004)を挙げている。『マインド・ゲーム』は“映像の狂乱と暴走”とでも呼ぶべき傑作で、突然、登場人物が実写になったりシーンの盛り上がりに合わせて人物のカタチすら曖昧になったりと、ルール無用、やりたい放題の怪作なので、未見の方には強くお勧めしたい。



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